1 寺田寅彦『青磁のモンタージュ』
去る土曜日、サークルの仲間である竹雀氏・詩音氏と会って食事をした。おすすめのエッセイを尋ねた際に竹雀氏から返ってきたのが寺田寅彦『青磁のモンタージュ』と、以下のことばである。

力は抜けているのに描写は鮮やかで、こういうのを書けたら最高だろうなと思います。


肝心のお値段はなんと青空文庫にあるので無料だ。いい時代である。豊かな文化の土壌をつくってくれた先人に感謝のきもちがこみ上げる。
内容としてはさまざまな器と、そこに入れる中身について考えるというものだ。描写から伺える筆者の繊細な感性や、古く(さっと調べたところ、どうやら殷の時代から)から存在している青磁に対して「モンタージュ」という、昭和6年当時においては新しい文化であろう映画の用語をあてているところにセンスが光る。「青磁」と「モンタージュ」、ふつうはつながりづらいことば同士のはずだ。

自分なりに器と入れるものを組み替えて試行錯誤をしており、モンタージュと呼ぶに相応しいシチュエーションができあがっているのは見事だ。さいごに不格好な落ちでしめているのもユーモアを感じる。3ページという短いボリュームながらも、そこから編み出されるものがたりのクオリティの高さに驚く。「こういうのを書けたら最高だろうなと思います。」とは、全くもって同意見である。


2 村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』

村上春樹は10年ほど昔に読んだっきりで、おまけに何を読んだかすら思い出せないくらい縁薄い作家であった。これを読むきっかけとなったのは、職場の図書館だった。図書館といっても、立派な部屋を構えて、蔵書がたくさんある、というのではない。食堂の隅に皆が読まなくなった本を置くスペースが出来、そこにたまたま置かれていたのだ。今は文学作品からドキュメンタリーまで幅広く、10冊くらいある。
いまさら書く必要もないくらい有名な本だけれど、レビューなので一応……。収録されている作品はすべて、阪神淡路大震災の直後を舞台に書かれた短編である。さまざまな境遇のひとたちが登場するのだが、どれも震災後に揺らいでしまうであろう人間存在に対する不安、先行きの不透明さといったものがひとの描写や物語の結びによく表れていた。それも難しいことばを用いるのではなく、普段使う語彙だけで組み立てられている。話は少し逸れるが、通っていた大学の教授がいちばんはじめの講義のときに、こんなことを言っていたのを思い出す。
「ものごとをわかっているということは、それをわかりやすく人に説明できる、ということです。専門用語だらけの難解な説明ではなくて、普段使うかんたんなことばで説明できること。この講義もできるだけ普段使うことばで説明していきたいと思っています。」
わたしは哲学科だったので、難解なテクニカルタームで90分が消費される授業も多かった。正味、半分くらいはそうだった。学科屈指の白痴だったわたしは、履修登録の際に講義を吟味して取らないと悲惨な目にあった。これを聞いて以来(そしてテクニカルタームだらけの宇宙に迷い込んだ経験以来)、自分が人に何かを説明したり、伝えたりするときには普段使うボキャブラリーの中から話したり、書いたりするように心がけている。わからない人に対してテクニカルタームまみれの説明をするのは、それこそFF13を有名ならしめた一文(?)である「パルスのファルシのルシがパージでコクーン(以下略)」と同じことだ。これはよくない。なにせFF13をクリアしたあとだとしても、上の言葉の羅列の意味を理解するのには少し時間がかかる。
話を戻して、ふだん使うことばで人間にとって生死や愛憎などの根本的なできごとの深淵に切り込めるというのは並大抵のわざではない。わたしがよちよち歩きをしていた時分から、村上春樹はそれをスマートにこなしていたのだ。かっこいいというほかない。たぶん村上春樹さんはこれまでに何度も言われてると思いますけれども……それでもかっこいい、そう思います。どれも気に入ったのだが、とくにこれがいいなというのは表題作の結末と、「タイランド」のニミットの生き方であった。
ちなみに、はじめに紹介した『青磁のモンタージュ』の前に竹雀氏から『村上朝日堂』もおすすめされており、こちらを今読んでいる。

文庫の見開き2ページでひとつのエッセイ、という形式で終盤まで続くので、文学に親しみがないとしてもたいへん読みやすいと思われる。こちらも日常で用いることばでさらっと書かれており、やっぱり村上春樹ってすごいな、と思い直したのであった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。なにか村上春樹のおすすめ作品があればぜひリコメンドをください。お待ちしてます。