◆今月下旬に読んだ本

1 村上朝日堂 村上春樹

も触れた、軽快なテーマのエッセイ集。昭和時代に出た本なので、若かりし頃の村上春樹の頭の中が垣間見えるのかな。それにしても、すでにここまでのことを書けるというのが只者ではない感じがする。日常に基づく幅広いテーマが書かれているのだが、中には根拠のない結論もあってふしぎと説得力がある。だいすきな旅行や映画の話も交えながら、頁はするすると進んでいく。見開き2頁で、およそ字数としては600字ほどなので、ひとつがすぐに読めてしまうのもいいところだ。
全部読んで、すきなのは迷わず豆腐の話。なにをかくそう、わたしも豆腐がだいすきなのだ。共感できる部分、こう書くとおもしろいなという発見、オチ、三拍子揃い最高であった。
しかしこれはぜひ、電子書籍でほしいなあ。ちょっとしたときに持ち歩いて読みたい本だ。Kindleさん、がんばってほしいです。

2 百物語 森鴎外

すすめられて読んだエッセイ。少し文体は古いが、内容には古さがない。さらっと「内容には古さがない」なんて書いたけれど、こういうことってなかなかできないことだと思う。というか学生時代の「舞姫」から感じていたけれど、森鴎外は文章がかくだんに巧い。竹雀氏は「チューニングするときに森鴎外を読む」と話していたのだが、まっこと正しい選択だと思う。チューニングというのは、日々文法用法もろもろが狂った文章ばかり読んでいると何が正しい言葉の使い方なのかわからなくなってしまうので、そういうときに自らの文章感覚をニュートラルにするために行う読書のことである(多分)。間違っていたらすみません。
内容としては作者が百物語の会場に行く話なのだが、後半に進むにつれて作者は百物語そのものよりも、百物語を主催した人間の方に興味を持つようになる。思わぬ展開に直面したこともあり、後半は頁がぐんと進む。結末もたしかに腑に落ちる。しかし謎に満ちた部分が気になるままといえばままだ。おそらくこれに続きはないのだけれど、このエッセイを元に小説が書けそうな気配すら漂わせる。
森鴎外自身が自らを「観察者」というように、つぶさな観察眼と細やかな描写が特徴である。落語もそうだが、おもしろいものを作るひとはやはり観察がじょうずだ。今後も日々をちゃんと見つめてエッセイを書き続けたいと、決意を新たにした逸品。

3 ザ・ロード コーマック・マッカーシー

この本を読むきっかけは、読書会で読むことになったからだった。わたしから提案したのだけれど、この本が気になっていたのには理由があった。ひとつはサークルを主催している詩音さんが、前にこの本のワンシーンを切り取ったエッセイを書いておられたことだ。
図書館という希望 雨伽詩音
最近は、人間の行いは未来への希望を託したものなのでは、と感じることが増えた。なかでも、本として残すというのはその最たるものだ。すると、自分が文章を書く理由にも想像は広がる。文章の内容云々も大事だが、なぜ書くのかということも向き合わねばいけない問題のように思う。
もうひとつは、自分がSFっぽい世界観を書いておきながら全然文学でSFを読んでいないということだ。なぜ読まなかったのかというのに理由はない。ただ、触れてこなかったのだった。
読了後は率直にこう思った。
「あまりにも多くのテーマを内在しているおり、一回では読みきれない。」
しかもどのテーマも時代を経て薄れない、普遍的なものばかりだ。こんなにもいっぺんに、いろいろなことを強く投げかけてくる小説があるのかと、度肝を抜かれてしまった。初読で拾えたエッセンスはあまりにも少ない。しかも考えれば考えるほど、別のトピックが顔をのぞかせる。それなのでいくら書いても終わりがなく、いったん「ここまで」と決めておかねばならない。ということで、中途半端かもしれないが雑感を撒き散らして終わる。
『ザ・ロード』は何らかの理由で世界が荒廃した、近未来のアメリカが舞台だ。灰が積もり、寒冷化していく世界の中で、父と子が南に向かって旅をする。既存の秩序が崩壊してしまい、道中には人食する人間や盗人が出てくる。はっきりとは明示されないが略奪・レイプといったものも横行している。さまざまな苦境を乗り越えながら、父と子は進み続ける。あらすじとしてはこんなところだろうか。
この父と子はカートを押して旅をしている。舞台がアメリカなので、コストコ的な大きめのショッピングカートをわたしは想像している。ふたりは周りに気を配りながら道端にある空き家や店を捜索し、生き延びるためのアイテムを手に入れながら旅を続ける。この構造はいたってゲーム的であると、元ゲーマーとして感じる。ゲームは歩く→アイテムを手に入れて強くなる→旅を進める、という構造が多い。物語に旅はつきものだし、初期状態からラストダンジョンへ飛び込むソフトをわたしは知らない。ゲームをして育ったせいか、本の構成としてはとても読みやすい。この話は一文がたいへん長いのだが(およそ三行で一文のときもざらにある)、慣れてくると心地よく切れ目を入れて進めることができる。この切れ目も父子の歩くリズムや、どんな天気なのか、周りに何者かがいるのかによって変わってくる。くせのある文が読者を物語に没入させる。後半になってくると、文字から音が鳴っているような気すらしてくる。
ここに出てくる登場人物はある一名以外名前が語られない。父と子すら「彼」と「少年」である。人のアイデンティティの根幹をなす固有名詞をとりさることによって、普遍性がうまれるような気がする。決して世界崩壊後のフィクションとしてではなく、現実世界の問題として著者はこの物語を書いているように思う。たしかに追い詰められた人間の行動であるとか、考え方というのが、ここでは多く記されている。そしてそこにおける希望も、ときどきみずみずしく書かれている。
登場人物である「少年」の生は世界崩壊後からスタートし、彼と共にあるのは父のみである。少年の社会は父-少年間の二者で形成されている。確固たる秩序どころか言葉の意味すら欠落した世界でありながら、少年にはありあまる善意と純朴さが備わっている。灰色の湿った世界における少年の存在は太陽のごとく眩しい。一体なぜなのか?どうして少年のようなパーソナリティが、この不毛な世界の中で形成されているのか?父ありきといってしまえばそれまでだが、それだけでは語りえないことのようにも思う。わたしとしては、とてもこの点が気になる。
さいごに、本のしめくくりにある段落が、現代社会に対する警鐘のように思えたのも印象的だった。在りし日の美しい自然を懐古しながら、この荒れ地で語られた物語は幕を閉じる。当たり前のように存在しているもろもろの文明が、果たして人を本当に豊かにしているのか。そんなことを思わずにはいられなかった。
まとまりがないがこのあたりで。ザ・ロードは電子版がないのだが、読んだあとも手放したくないと思った小説は久しぶりだった。

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