◆感想『ふつうの医者たち』南木佳士

医者であり小説家である著者が、自らの職務と誠実に向き合う医者との対談をまとめた一冊。
なぜ「ふつうの」医者かというと、矛盾に満ちた医学の世界の中で、ひとりよがりになることなく、誠実に自分の仕事を為している医師だから、と著者は言う。また自身がみずからを「だめな」医者だと言っていることも多少関係している気がする。
手の施しようのない肺癌患者の死に向き合っているうちに、著者自身が心を蝕まれ、パニック障害を発症する。パニック障害に罹患したことで「病み、落ちこぼれ医者」と自らを表すが、これは現代の感覚とは少々ずれがある。というのもこの本は1998年に出版されており、当時は精神疾患に罹る者や自殺をしてしまう者は忍耐の足りない軟弱者だ、という考え方が一般的だった。なので、その後に現れる価値観についても今から20年前に出版された本だということを念頭に置いて読んだほうがよい。

対談の相手は、家族でまるごと現地に転居して海外の医療発展に寄与している方、結核が不治の病だった頃に、当時最先端の技術で手術を行っていた方、臨床医でなく研究者として筋ジストロフィーを究める方、リハビリテーションという概念が存在していなかった頃から在宅医療を志し、実践しておられる方、文学部を修了してから医学部に入りなおしたと方と、バラエティ豊かな医者たちが登場する。対談の最後で著者は彼等の死生観を尋ねており、診る部門によって相当違ってくることが伺えた。著者は手の施しようのない肺癌患者の病棟にいたため、どうしても死が後ろ暗いものとして自分に迫ってくるような感覚がするという。他の医者の死生観にも注目されたい。また「いい医者」のありかたが場所によって変わるかもしれないね、という対談が個人的にはおもしろかった。最後の章だったかしら。

他にも目を引いた箇所はいくつかあり、ひとつは数人の医者から「医者のできることは少ない」という言葉が出たことである。医学は万能の学ではないし完成されたものではないから当然なのだが、医者自身も、なる前に想定していたよりもできることが少ないと痛感するのが新鮮だった。また結核についての章では死病と見なされていた時の扱いや、手術が具体的にどうなっていたのかということを丁寧に掘り下げることで、現在の不治の病への対応に関する問題を考えようとする姿勢に好感が持てた。仮に不治の病だとして、それを告知されたいかどうかを対談相手に尋ねているのも、医者を特別扱いしていないというか、等しく死んでいく人間のひとりとして対峙している気がして著者らしい。

本書は医療にとどまらず、話の流れで医療以外のことについても書かれる。カンボジアやエチオピアの家族はみんな一緒にいてみんなで悩んだり、年長者を看取ったりするのが常だが、それは現代日本では失われた家族観だとか、忘れることが上手だから先生(対談相手)はどんどん先に進むことができるが、自分は忘れることが苦手だから小説を書いているとか、大学にいるのは受験が得意な高偏差値のひととほんとうに優秀なひとの二種類がいるとか、医者以前に素朴な一人のひととしてやりとりする場面がある。そういったところが医療人でないわれわれにとってもとっつきやすく、この本の読みやすさに起因している気がする。

医者に対するイメージがほんの少し広がった一冊。なんとなく権威的で近寄り難いものだが、中にはそうでない人がいて、いずれもスタートは生活の場面から始まっていることがわかると決して遠い存在ではないのだとわかり、安心する。
さいごに、著者が小説を書くようになったきっかけは「医者の世界はかっこいいものではない。ドラマで患者家族に礼を言われて見送ることなんてほとんどないし、死がゴロゴロとそのへんに転がっているという実感を誰かにわかってほしかったから。」だという。著者の置かれていた環境と結果を考えると当然の因果である。そこで自分が小説を書く理由を考えてみると、著者のようなことばではっきりとしたものが出てこなかった。一考の余地があるような気がした。

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