◆リンダキューブの世界観(2)

  疲れてたのか昨日は即寝てしまった。まぁ、そういうこともあるよね…。

  この「死神」がどうあがいても避けられないものとして書かれている点が、リンダキューブの世界観のいしずえである。従来のRPG─例えばファイナルファンタジー7ならば星を破滅させる力をもった「メテオ」を食い止めるために、クラウドたちが奔走し「ホーリー」を発動させる。他のRPGを見てみても、およそ絶対的な破滅に対する対策が用意されている。

 しかし本作はそうではない。最初からそのようなカードを放棄していると言っても過言ではないだろう。ケンとリンダは単なるネオケニアの一住人であり特別な能力も、ファンタジーめいた生い立ちもない。どうあがいてもケンが救えるのはせいぜいリンダと捕獲した動物くらいのものなのだ。他の住人たちは宇宙船に乗って別の退路を取っており、ケンたちはそれには一切干渉しない。

 この世界構造こそが本作の抱える「絶望」ではないだろうか。従来のRPGにおける勧善懲悪的な展開、ひいてはそれの生むカタルシスが本作にはない。一貫して星の終わり─言ってしまえばRPGのプレイにおいて当たり前のように守ってきたものに対し、なすすべを持たぬ無力さをいやでも意識させられるシステムになっている(註:リンダキューブにはそれぞれのシナリオで動物の捕獲数のノルマがあるため、あまりのんびりしていると時間経過により「死神」が落下してしまう)。それはプレイヤーに対する挑戦と取ってもいいのかもしれない。RPGにおいて、無力感にさいなまれるような挫折や屈辱は、物語の道中に仕掛けられていることが大半であった。たとえばドラゴンクエスト5の少年編の終盤(ゲームで言うと1/4程度のところだろうか)では自らの弱さ故にゲマに敗北し、自分を助けようとしたパパスを目の前でリンチ、しまいには殺害されてしまう。この敗北を引きずったまま、主人公は青年編の後半まで旅を続けねばならない。しかしシナリオの進行上必ず打ち倒せるように出来ている。序盤の大きな喪失を乗り越える過程がプレイヤーの心を打ち、パパスの断末魔と共に語り継がれる名シーンとなっているのだろう。

 先程も述べたが、リンダキューブは終始世界の破滅に対する救済が一切存在しない。さらに言えば倒すべき侵略者や悪の組織も存在しない。彼らの眼前にあるのはただ「大自然の脅威」である。それらを地盤にして構築されているからこそ、リンダキューブという作品が深い「絶望」をはらんでいると感じざるをえない。

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