◆出先の読書幻想

たまたま、時間をもてあましてしまった。ゲームは土曜に思う存分やったのでいまいち乗り気になれない(し、土日の両方でゲームをしつくすのには体力的条件が整っていないときびしい)。本音を言うならば、きのう借りた本を少しでも読みたい。

しかし、外での読書が捗ったためしがない。聴覚過敏のきらいがあるので、いろいろな音が気になってしまう。つねにBGMが鳴り、ひとがおしゃべりをして、コーヒーマシンが稼働しているカフェで読書などという、絵に描いたような優雅な時間は、フィクションだと思っている。唯一うまくいくのは人のすくない電車だ。カタン、カタンと揺れる音がどうやら快適なようで、落ち着く。耳栓をがっちりつければ、人の声もある程度遮断できるのでなんとかやっていける。

町のいろいろな場所を思い浮かべた結果、図書館で読むことにした。中心部にあるので人が多く、あまりうまくいくとは思えないのだけれど、カフェで読むよりマシだろう。

行ってみると案の定、受験生や自習する大人、読書ずきのおじさんたちがいた。人が多すぎる。早くも、いやになってきた。席を探すのに一苦労だ。なんとか空いたソファを見つけ、耳栓をつけて読み始める。しんと静まり返って空間で聞こえる「ミー」という音が心地よい。

だが、それも長くは続かなかった。本を探して歩く人の姿が、視界の端に映る。活字が頼りなく揺れるような心地。コツコツ、ぱさっ、音も気になる。悪意のないくしゃみ、控えめなボリュームのおしゃべり、子どもの泣き声らしきもの、外を走る車の残響……。

やはりだめか。この町で自宅並みの環境を求めるのならば「絶対に喋ってはいけない喫茶店」がオープンしないかぎりむりだ。集客性の高いこの町に住むことを決めた時点で、静寂を求めるのは矛盾する。町の機能を考えれば、しかたがない。その日は「図書館で読んでみる」と決めていたので閉館時間までねばり、思ったほど進まなかった本にしおりを挟んで立ち去る。

ここまで悪いことばかりを書いたが、実は収穫もある。それは、休日に読書するタイミングを夜に定めなくともよい、ということだ。今までは日中にゲームをしに行くことが多く、めいっぱい遊んだあとに読書を回すと疲れ切った体で臨まなくてはならず、あまり内容が入ってこない。すっかり夜の読書が習慣化していたけれど、休日に関してはむしろ早い時間のほうがフィジカルが万全なので、柔軟に対応してよいのだ。それがわかっただけでも図書館での読書体験には意味があったといえよう。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。ほんの少し残った時間はゲームをしに行ったのですが、本はアタマ、ゲームはカラダを使うのでメリハリがあって妙にはかどりました。

コメント

  1. […] 先日、音が気になって読書がむずかしいという話を書いた。しかしここ最近の休日、外で読書をして時間を過ごすことが増えた。 […]

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