◆個人店のありがたさ

相変わらず調子がすぐれない。昨日は休みにもかかわらず何もする気力が起きなくて、寝たり起きたりを延々と繰り返して夕方になってしまった。先週も同じような状態になっていたので今日こそアトリエに行きたかったのだが、朝、必要な家事をしたあとで力が抜けてしまい、すっかり眠ってしまった。午後はもっと最悪で「もう何もしたくないから早く夜になってほしい」と思いむりやり寝ていた。全然眠くないというのに。そんなこんなで今日の朝である。気分がいいはずがない。
昨日はそんな中でも「どうしても豆腐が食べたい……」と思っていた。もちろん、以前書いた豆腐屋のものである。わたしというものはよほどのことがない限り、予め立てた予定を曲げられない女である。だが電車に乗って行くことを想像するとだいぶ無理な感じがしたので、本店に行くのはあきらめた。そのあとで、近所に商品の一部を卸していることを思い出し、自転車を漕いだ。住宅中心の道を選べば人通りが少なくて走りやすい。小ぶりな店を前に、自転車を停める。スーパーマーケットのような宣伝文句や妙に頭に残ってしまうようなテーマソングもない。ジャズか何かだろうか、何がかかっていたかは忘れてしまったけれど、控えめな音量でBGMが流れている。例の豆腐と野菜を手にとり、店員にわたす。優しそうなお姉さんの、なんとなく安心する接客。リュックに買い物を詰め、家に戻った。
元気なときはあまり気にならないものだが、調子が悪いとスーパーマーケットの音や広さや人の数や雰囲気はかなりの負担を伴う。一方、町中にある個人店の、騒音のないさっぱりした店内、人でぎゅうぎゅうにならない空間、どこか人間らしさを残したやりとり、そういったものに安心する。また不調のときは判断能力が鈍るので、いろいろな商品を置きすぎていないというのも大事だ。そういった店が随所に残っていることは、住みよい環境の条件かもしれない。
最終的にどこに居着くにせよ、買い物の場所がイオンモールだけしかありませんという地域には住めないような気がした。なにせ広すぎる・人が多すぎる・音がありすぎると、考えるだけで鬱屈としてくる。個人商店が死滅していないことのありがたみをひしひしと感じた。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。「なぜ騒音がだめなのに、ゲームセンターは大丈夫なんですか?」と聞かれることがあります。ちょっと不思議かもしれませんが、ゲームはわたしの人生を救った一大コンテンツなので、かえってその騒音に安心感があるのです。ですからイオンモールやスーパーマーケットにも人生を救われれば、居心地もよくなっていくかもしれません。さらっと書いてはみたものの、一体どんな状況なのかしら。

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