先週は佐倉へ展示を見に行ったので、アトリエは休んだ。自分のペースで通っていいというのが、ここに行くことを苦しく感じない理由のひとつだ。「行かなければならない」と思うことほど、その場所に行きたくなくなる要因もない。

この日は調子が悪く、制作がふるわない。新作のアイデアは浮かんでいたのだけれど、筆が止まる。先生に、どうしたらよいかと助言を乞う気概もなかった。
「そういう日もあるか。」とあきらめ、続きをやっていた作品を手直しして、版権のイラストを描くことにした。
描き進めていると、向かいに座っていた方が「初音ミクですか。」と尋ねてきた。聞いてみると、製作途中からわかっていたとのこと。
「指先が女性らしく描けていて、いいと思います。」とも言ってもらえた。絵をほめてもらえることなどほとんどないものだから、重ねてお礼を伝えた。
合評に出してみたら、とすすめられたが、自分の作品をうまく説明できない気がして「うーん……今日はちょっと、やめておきます。」と断ってしまった。調子の悪いときに大勢の人の中で話すのは、そこにいる人たちの顔と声が直接脳に貼り付いてくる感じがして、疲れてしまう。合評が行われる1階のスペースに入るのもしんどかったので、2階の窓から皆の作品を見た。
ちょうど初音ミクずきの知り合いが来るものだから描いてみた『初音ミク』。湧き出るコレジャナイ感。右側のえんぴつは、警察署の手続きの待ち時間に描いた下書きである。機械が壊れて、けっこう待った。思えば警察署の免許更新の機械は、前に来たときにも調子が悪かったなあ。

来週調子がよければ、そのときに合評に出そうと思う。
合評後は、久しぶりに(思い返すと、八ヶ月ぶりだった!)お会いした方と近況を伝えあった。ひとしきり伝えたあとで、本当は、会話が苦手なことを打ち明けた。アトリエではまだましだけれど、職場の会話なんてひどいものだと。その方も、隣りにいた方も驚いていた。隣にいた方は「いつも豊かな言葉を合評でくださるから、真逆のイメージでした。」と言っていらした。「むしろおしゃべりは上手な感じがしたけれどねぇ。だけど、職場の会話が息苦しいのは、僕もわかる。」とその方は仰っていた。
そこから、福祉施設における支援と被支援について話をした。とても明晰な方なので、言わんとすることが痛いほど伝わった。福祉施設に限らず、どんな居場所も、万人に受け入れられる場所などできないのだろうと思った。アトリエも自分の職場も、それぞれのニーズや共感できる世界観が異なるから、全く違った様相をしている。だからこそいろいろな場所があっていいし、新しく作ることもできる。自分が求め、共感する世界はどこにあるのだろうと、思いを巡らせた。はっきりしたことはわからなかったけれど、このアトリエのあり方に共感できていることは確認できた。だからこそ展示を見に行くことで満足せず、みなさんが作品を作っている「生の現場」に通う。

閉所時間まで次の絵のことを考えて、帰りのバスに乗った。アトリエの方がいらしたので、隣に座らせてもらって話しながら帰った。明朗で分け隔てなく人と接している方なので、なかなかアトリエで話しかけられなかったのだが「いつかゆっくり話をしてみたい。」と思っていたひとだった。
はじめは彼女がアトリエに出会った経緯や、絵のことを話した。みなさんが作品を紡いできた時間やこれまで描いてきた線の数も、時間を伴った大きな作品だよね、という話になった。アトリエにはそれぞれの方が積み上げた時間が眠っている。数多の作品とともに、歴史が息をひそめている。
そのあとで、真摯に向き合いたいことがらは、しっかり考えてことばを尽くしたいという話をした。だから、ひとつひとつのことばが途切れ途切れで、少しだけ伝わりづらいかもしれないとも言った。するとその方は「流暢だとむしろ、音楽のように流れていってしまって、つかまえづらい。途切れ途切れでも御影さんのことばは、ひとつひとつが刻印されていくような感じがします。」と答えた。流れていくはずのことばの音に「刻印」ということばを充てる感性が、とてもすてきだと思った。昔書いた文章のことを拾っていただき、文についても話をした。書いたものを読んでみたい、とも言ってくださった。そのことばだけで十分だった。
最後に少しだけ落語の話になり、躁鬱病で自死してしまった人がいたことを教えてもらった。名前を必死に思い出してくださっていたが、はっきりとこれだ、というのは出てこなかったようだった。アトリエ後、お疲れであろう彼女の大切な時間を、名前を思い出すことに割いてくれたことがうれしかった。今は調べ物はGoogleやSafariに頼ればすぐわかってしまうので、人に求めるのは正確で迅速な情報ではないのかもしれない。「わたし」のために使ってもらった時間やことばが、生身のひととのやりとりで大切なことなのかもしれない。自分が時間を相手に割く側だったとしたら、と想像してみる。おそらく、どうでもよくて興味のないことは気が進まない。だいすきでしょうがない、もっとしっかり深めたいものに対してきちんと向き合える。そんな気がした。

次会ったときに文章をお渡しすることを約束して、駅で別れた。駅にいた鳩から守ってくれた姿が頼もしかった。
帰ってから噺家さんのことを調べてみると、最近よく聞いている三代目桂米朝師匠のお弟子さんが出てきた。一度聞いてみようと思う。