なんとなく調子がよくなくて「アトリエに行ってもなあ……。とりあえず、行くだけ行ってすぐ帰るか。」という気持ちだった。実はこういう気持ちになることはけっこう多いのだけれど、行ってしまえば元気になるので、結局さいごまで過ごして帰る。むしろここでアトリエに行かずに何もしないと、何もしないで終わってしまったという不全感だけが残る。いくらきれいな夕暮れがあっても、それと反比例するようにむなしくなっていく。
アトリエに着くと、なんとなく自分の作品をやる気になれなかった。少しぼーっとして、先生に手伝いがあるかを聞いた。こんど埼玉の方で影絵をするらしく、その制作の手伝いがあるという。題目は『奥の細道』であった。弟子・曽良の顔と身体のパーツを切りとり、光の入る箇所をカッターで慎重にくり抜く。だんだん楽しくなってきて、没頭してくる。切りおわったらパーツをマジックで黒く塗りつぶす。塗りつぶす作業は無心になれてすきだ。心の中に渦巻くざわざわとしてものが整っていく気がする。夢中で作業をしていたので、会話はあまりしなかった。
合評が終わってから自分の作品をすすめた。今回は色のことを気をつけたいので、下書きしたものに色をつけてみた。

視線の怖さは寛解した今もそこそこまとわりついてくるので、ちゃんと全部埋めてから本番に入りたいと思う。絵の中から色が呼んでくれないとき、自分から色をつけるのはむずかしい。
今にはじまったことではないが、わたしはこのアトリエのような場所が、いろいろなところにできたらいいと思っている。べつに何かを作る場所でもいいし、作らなくてもいい。大切なのはその人がみずから「表現」することで、それが芸術の形でなくても全然構わない。「絵を描きましょう」とか「歌を歌いましょう」とか、プログラム的に他者から与えられるのではなく(だいたい、そんなところでやるものなんておもしろくもなんともない。学校がいい例である。)、当人が主体的に為したいことを「為す」こと、そういったことがもっとできたらいいのに、と思う。今は哲学畑にはいないけれど、ここで先生方がやっていることはソクラテスの産婆術とよく似ている。
ここに来ているのは、アトリエのひとびとや居心地のよさに惚れ込んでいることが一番だが、来る日のためにいろいろな「ものづくり」について学びたいというのも、理由のひとつだ。いろいろな引き出しを持っていれば万能ナイフのように、いろんなことに対応できるような気がする。これも義務的というより、楽しくてやっている。時機がきたら勝手にはじまっていくと思うし、今はその時ではない気がする。一朝一夕でソクラテスにはなれない。
帰りはメンバーのひとりに声をかけてもらって、食事をして帰った。沈黙の時間を無理に埋めようとしなくていい間柄というのは、とてもきらくだ。アトリエのことや、診断名のことや、しょうもないこともふくめていろいろ話した。彼女は変にかざっていなくて、話しやすい。とても気の回る、頭のクリアなひとだ。新しい髪型も「……いい!」と一言、それだけでが伝わってくる。彼女の「……いい!」には強い魔力がある。心の底からどっと温泉のように湧き出てくるようなエネルギーを感じる。それでいて温かい。
午後の半日しかいられないと自分の制作も手伝いも中途半端になってしまうので、できるだけ午前中に行けるようにがんばりたいと思った。起きはするのだが、どうも電車の接続がよくないのだ。
記事を寝かせておいたらもう次のアトリエの日が近くなっていました。がんばります。