例年、12月さいごの木曜日はアトリエ内で忘年会をするという。到着したときはすでに料理が完成し、あとは食べるだけという状態になっていた。決して広いとはいえないアトリエの椅子をかきあつめ、皆でよそって食べる。きほんてきに人の声の集積がつらいので、ふだんこういう行事には参加しないし、絶対参加しなければいけなくても、極力短時間で回避することに全力をそそいでいる。アトリエにもおしゃべり声はあるものの、皆食べることに集中していて、その研ぎ澄まされた空気が声の集積を解体してくれているのか、穏やかに過ごすことができる。

なかには、会ったことのないかもしれない人も数人いた。「かも」というのはどこかで会っているかもしれないけれど、記憶があやふやなのだ。せっかくの機会なので話をしてみると、遠くのアトリエから来たひとや、普段わたしとは違う曜日に来ているひとや、昔のスタッフだったひとがいた。

食事のあとはぱらりぱらりと帰る人もみえ、残ったひともあまり制作をやっていなかった。何を隠そうわたしもそのひとりであった。それなので、作品を制作していないひとたちと話をした。短い時間の中ではあまりにもいろいろなことを、わたしは話した。ほんとうに自分が思っていることを他人に話すのは、ひさしぶりだったような気がする。

合評のあとみなと話していて、ふふと笑ったときに「今は自然に笑っているな」と気づいた。その場その場に適応するために人為的につくられる感情はここで必要ない。具合の悪いときはぐったりして、おもしろいとおもえば笑い、胸をくすぐられるときめきがあったときは「すてきね」と穏やかな口ぶりで言える。ふだんどれだけ自分にとって「ほんとうではない」ところのものを「ほんとうらしく」振る舞っているのだろうと考えると、むなしくなった。他の社交の場がすべてうそだというわけではないが、やはりここほど飾り立てずに過ごせる場所というのを、わたしは知らない。

帰り際「御影さんがこんなにしゃべるのは新鮮だった。楽しかった。」と言われた。ここだから話せるのだと思い余韻にひたっていると、浅いねむりがさそってきた。あらがうことはしなかった。

ことしは特段なにかあったわけではないが、自分の変化を大きく感じた年である。朝も書いたが、余暇の過ごし方や人づきあいのしかたが以前とは見違えた。これはひとえにアトリエという場とひとがわたしを受け入れ、ともに時間を過ごしてくれたことが大きい。アトリエの扉をあければたましいがやわらかく愛撫され、はだかのまま抱きしめられる感触がある。ふだんは一般社会に適応すべく塗り固められたはりぼてで覆っておかないと死に絶えてしまう「たましいの本体」ともいうべきものが、ここでは服を脱いで佇んでいられる。今後も大事にしながらおつきあいを続けていきたい。

読んでくださり、ありがとうございます。年内最後の記事になります。来年もよろしくおねがいします。