月一回の外来も流れができてきた。アトリエに行く日とかぶってしまうのがつらいところだが、先週の旅行で疲弊しているのでちょうどよかったかな。それにしても、なんか今回はすごく語ってしまって長い。

前回の反省を活かし午後のいちばんはじめに予約をとった。すいている。静かだし、何より待たない。他科にかかっているひとは高齢者がおおいので、午前中に病院を済ませてしまうのだろうか。引き続き1ヶ月のようすをまとめた紙を元に、先生と話をした。

この1ヶ月は、過食の日々だった。もうれつに食べた。ふだん食べないカップ焼きそばをぺろりと完食、それには飽き足らずパンをふたつ食べて自炊したごはんをいつもの量より多く食べる。どうかしているとわかっていても、どうしようもない。はじめは「なんか食べちゃうな」と思っていたのだが、あとになってストレス由来だと気づいた。しかし今度はストレスの原因がわからない。職場は学校ほど居心地も悪くないし、やりたくないことはしていない。休みの日も無理をしていない……。

そして先週末にようやく、その原因がわかった。くわしいことは割愛するが、自分の感情の動きに気がつかなかったことが、気付きのおくれた原因だった。1ヶ月ごしに判明した「さびしい」という感情。今回の場合、仮にわかっていたとしても揺るがない事柄ではあったのだけれど、原因がわかっているのとわかっていないのでは気の持ちようが全然ちがう。なにごとも因果を求めるあたまをしているから「なんかわかんないけど食べちゃうな」というのは一番いやなのだ。「こういうきっかけで『さびしい』という感情が出てきてストレスとなり、その反応として食べているんだな」だと、事実が明瞭になって腑に落ちる。

ということで、今回は疲れの気付きと原因究明が遅い、というのがテーマだ。前回の外来で「疲れに対する気づきがひとより遅い傾向にある」と聞き、この1ヶ月はそれをいやというほど実感したので、

「もっと早く気がつくようにするにはどうしたらいいですか」

と尋ねた。このブログを読んでくださっている方ならおわかりだと思うが、わたしはかなり自己分析をするたちである。それでも自分の疲れに気づくのが1週間後とか1ヶ月後とか、ひどいときは忘れてしまったまま「なんか疲れてる」ときもある。そのことを先生に話すと、以下のような図をつくってくれた。

  • 定型発達の人(いわゆる「多数派」)
    • いやなこと→こころの動き(いらいら・かなしい等)→ストレスだという気づき→発散行動(今回の場合「食べる」)
  • ASD(自閉症スペクトラム)の人
    • いやなこと→発散行動→状況を逆算してストレス?と気づく→こころの動きがあったことに気づく

というふうに、じぶんの感情の動きをキャッチする力が乏しいというのが、気づきの遅くなる要因のひとつだという。要するに上で書いた 「こういうきっかけで『さびしい』という感情が出てきてストレスとなり、その反応として食べているんだな」 を、定型発達のひとは発散行動をした時点でつかめているというのだ。すごい。

そのあと先生は「感情のバリエーションを持っておくといいです」と教えてくれた。単にポジティブ・ネガティブではなく、より細分化した感情をいまの自分にラベリングできるようになると、こころの動きや疲れのキャッチを早められるという。それによって早期発見・対処が可能になると、「気づき」のラグも縮まるのではないか……そういうりくつだった。

考えてみれば、わたしは感情に関する語彙がすくない(そもそもの語彙が多くないというのもあるけれど)。小説の校正をしてもらって直された感情表現をみて「そうか、そういう書き方があったのか」と思うことが頻繁にある。小説にかぎらず、自分を見つめたときに抽出できる感情の種類もすくない、ということかもしれない。「つかれた」という事実が観察できても、どういったこころの動きで「つかれて」いるのかと聞かれると、よくわからない。

この「わからなさ」の溝を埋めていくことで日々の過ごしやすさにつながるかもしれない。感情の種類にかんしては先生がよい本を探してくれるというので(お忙しいであろうにこの提案にはびっくりしてしまった)わたしもいろいろ調べつつ、こころの動きを注視しながら次の外来まで過ごしてみようと思う。

読んでくださり、ありがとうございます。きょうの外来がおわったあとのきもちは快、わからないことがわかってすっきりする、うれしい、がんばってみようと思う、そんなかんじでしょうか。「感情のキャッチ自体がストレスにならないようにしてくださいね」と、ほどほどに言ってもらえるところもありがたかったです。