なぜか、しごとを増やしたい気分になっていた。いま週4日のところを、5日にしたくなっていた。経済的に困っているわけでもなければ、しごとのモチベーションがもうれつに上がったわけでもない(一応ことわっておくと、今、しごとのモチベーションは人並みにある)。だいいち週5日にしたら、アトリエに行けなくなってしまうというのに、月1回の外来の日に休みを取るのだから、そのとき行けばいいではないかと、だいぶお気楽だった。現状、外来のある日は疲れてしまうので、アトリエを休んでいる。

その先のことも予測できている。おそらく週5日に増やすと、キャパシティを超えて疲れる。わたしの職場は4月から新しい契約になるので、1ヶ月はなんとかなっても、10連休でもうれつに病んで、5月以降は低空飛行、最悪の場合は連休のない6月に墜落する。ここまでわかっていて、「やっぱりやめよう」と折れないじぶんの心。われながら、無謀すぎてどうかしている。やはりふたりのにんげんが、わたしの中にいるのだろうか。

アトリエのひとにそれを話すと「そこまでわかっているのにどうして(笑)。」と、「正常な」わたしと同じ反応だった。

先生が、おおきな双眼鏡のようなものを渡してきた。「覗いてごらん」と試すように言う。めがねを外して覗いてみると、視界いっぱいに万里の長城がひろがった。葉がやや赤いので、秋も半ばだろうか。なぜか、すごく立体的に見える。聞いてみると、2枚の写真を組み合わせた「立体写真」だという。まだまだいろいろな写真で作ってみたいと、先生は意気込んでいた。

感動してしまい、年甲斐もなくはしゃいだ。そしてそのとき、このわくわく・どきどきは職場では味わえないと気づいた。やはりわたしは、このアトリエに行くべきだ。週5幻想はあっさり粉砕され、引き続き週4日でやっていこうと固く心にきめた。アトリエのメンバーも、自分のことのように安心してくれた。

「みかげさん、どうかしていたよ。」

ほんとうにそうだ、まったく。ここで調子が高いことを、自覚したのであった。

そのあと先生に「手に浮かぶ廃墟」のことを話した。じぶんの手に廃墟を見いだせたのは、アトリエで聞いた話が影響している気がしてならない。アトリエの隅に、先生が道端で拾ってきた木材がある。雨風を受けて剥がれている箇所もあり、ささくれている。「このささくれが町のように見えるから拾ってきた」という先生の感性に、わたしはいたく感動したのだった。先生はにこりとして「その光景をスケッチしてみたら」と言った。このとき、わたしの頭にひとつのアイデアがよぎった。廃墟。牢獄。黒い世界。あわててブックを開き、ラフをすすめた。

ことばを食べる。皿のぶぶんに、コラージュしたい。

先週からはじめた文字のコラージュに絵を貼り、色をつけて習作は完成した。ちょっとここに載せるのは憚られるので、載せないけれど……。作品をみて、やはりわたしは「文字のひと」なのだと思う。絵が描けないわけではないけれど、文字のあるほうがなんだか、わたしらしい。めずらしく今日は、遅くまで残っているひとがいた。彼女はこのブログの感想をこまやかにくださる、いいひとだ。

「わたしは文字のひとなんだと思います。」

「そうですか?みかげさんの文章には絵面があるような感じがするんです。」

ことばに絵面とな?かんがえる。小説もエッセイも、そうなるとうれしい。彼女の豊かな感受性が、そうさせているのだろうか?まだまだ途上のことばの集積しか作れないというのに、もったいないことばをいただいてしまった……。

また、彼女に惚れるきっかけができてしまった。すでにだいすきなのだけれど、彼女の感性はわたしの欠損部分をやさしく撫でてくれる。おだやかなきもちになれる。慈母の姿が彼女のうしろに見える。

夢疲れ(記事参照)で全く動けず15時頃の到着となったが、きちんと改心できたので行ってよかった。

読んでくださり、ありがとうございます。そもそも来年の契約があるのかどうかが気がかりですが、ないならないで、なんとかしましょう。