木曜日。アトリエに行く日だ。

じつは、アトリエに行く時間をしっかり決めていない。というのも体調や、そもそもが遅刻魔で、流動的な予定の場合はとくに、遅れがちというのがある。アトリエ自体が無理なく来てくださいという雰囲気なので、すっかりあまえている。

さて、さいきんはアトリエに来る人の数が多く、人の多さに参ってしまうことがある。アトリエが盛況なのはひじょうにうれしい。他方で、人口密度の高い場所はわたしにとって過酷な環境である。 けっきょくアトリエという、わたしがもっともわたしらしくいられる場においても、人の密集には耐えられなかったのだ。 そのことが最近わかってきて、少しさびしい。しかし無理もできない。遠くから合評を聞いた。

そういうわけで、もっとも人の多い時間をさけて遅めの時間に行くようにしている。2時半には合評があり、それには参加したい。そこに間に合うぎりぎりの時間が、2時着のバスだ。2時はまだまだ人が多いけれど、合評が終わると帰る人が多い。そのあとのさっぱりとしたアトリエに残ってひとと話をしたり、制作をすすめたりしている。本当はもっと話したい人や、午前中にしかいらっしゃらない人とお会いしたいのだけれど、午前中から来て2時半の合評まで耐えられる自信がない。

ということで今日も遅めの出動である。なぜか1本早いバスに間に合ったので、1時ちょっとについた。人が多い。なんとかパーソナルスペースを確保し、制作をすすめた。

朝の日差しのうしろで撮ったので、ほんとうのものより少し黄みがかっている。牢獄の中でことばを食べる人をつくっている。牢獄は前回も書いたように、手に浮き上がった廃墟の街の模様が刻んである。

合評がおわり、人が多くてしんどいということを職員の人と話した。「まぁ、みんなそうだろうねぇ」と彼は言った。たしかにそうだ。でも耐えがたいことは揺るがないので、しかたがない。

じっさいのところ、ボランティア的な手伝いはスペースが確保できないとできないものも多い。そのため、来年度の契約のときに休みの日をずらす交渉をするつもりだ。職場の空き時間にアトリエに行くのではなく、アトリエのために職場のスケジューリングをしたい。「聞いてくれてありがとう。」「みかげさんに会えてよかった。」「来てくれると和むから、できるだけ顔を出してほしい。」「作品がふわっとしていながら、不穏な感じがする。続きを楽しみにしています。」、すべてアトリエの人がわたしに直接くれたことばだ。すてきなことばをくれるみなさんと、一緒に過ごしたい。

来週は春分の日なので、あっという間に3月のアトリエはラスト1回となる。いったん最後になるかもしれない木曜日、大切に過ごしたい。

読んでくださり、ありがとうございます。ほんとうにここのひとたちがすきです。