先週から金曜日の通所(?)になったアトリエだが、うららかなお日柄にもかかわらず人がすくない。最奥のスペースが無人だったのではじめて奥で作業をした。まず今夏行われる展示の文書集の校正を行い、そのあとで作品制作にとりかかった。

しごとでやや長期化しそうな難儀な事態があり、とかく別のことに集中したかったわたしは、イヤホンをし、Youtubeで雨の音を流しながら作業をしていた。ひとの声かけに気づきづらいというデメリットはあるものの、おしゃべりや他のひとの制作音が気にならない。自分の世界に入り込めている、そんな気がした。

合評も人数がすくないぶん、ひとりひとりの作品をゆっくりと眺め、さまざまな解釈を聞くことができた。わたしも皆の作品をみながら、頭のなかのからっぽの宇宙が彩られていくように感じた。

着色まですすむ。なかなかいい「ことば」の広告がない。

合評後「作品を見せてくれませんか」と言ってくださった方がいた。長らくアトリエに来られなかった、ひさしぶりの方だ。切り取ることばたちは「なにやら裏がありそうな」ものばかりを選んでいる。「見ていてつらくなることばが多いですけれど、なんだかいいなと思います」と言われた。たしかに風刺的なコンセプトでつくっているので暗めのことばになるのは致し方ない。しかし、アトリエではこういうものを作るなとか、だめだとか言われない。心中にくすぶる熱をそのまま放出し、作品にぶつけていい場なのだ。だから安心して描けるし、存在できる。それがこのアトリエが安全地帯たるゆえんなのだと、表現者としてひしひしと感じる。

べつの方にはうしろにあるピンクの柱とその間を「自然の木々のようにみえました」と言われた。まったくもって無機的なイメージでこの作品をつくっていたので、いろいろな解釈があるなぁと感心してしまう。そう言われると背景が有機的に見えてきて、作り手のくせに見え方がかわるのは奇妙な気がしつつ、こういうのもありか、と思う。

そのあとは合評で見たマッキーの作品に感化され、つかってみたいと思った。目の前にあった太字マッキーをひたすらキコキコいわせて、おしまいの時間まで過ごした。もうれつに集中しているのが周りに伝わったのか、声をかけてくるひとはいなかった、そういう気遣いをしてくれるのも、とてもうれしい。

木を描こうとして、海にしようとして、けっきょく空になった。

マッキーは色の濃淡を水彩ほど気にしなくていいので、なんとなく気が楽だった。赤と決めたらおなじ濃さの赤しか出ない。伸びていく線の太さも均一で、安心できる。ぬりつぶしているときも主張の強い色で埋まっていくのが楽しい。今回はやや色の数をよくばってしまったので、次はもう少しすくない数でやってみたい。

読んでくださり、ありがとうございます。この日はほかにもいろいろあったのですが、まとまりきらないので朝のエッセイで少しずつ出していこうかな。