◆抑うつを愉しむ

 「愉しむなどと不届きな」と思われる方もいるかもしれない。なにをかくそう、わたしも昔はそうであった。しかし、精神が脆弱で事あるごとにおちこんでいると、いよいよ愉しまないとやっていられなくなる。すべてのことをばかまじめに捉えてはからだがもたない。なにせ行動原理の最たるものが「おもしろい」の輩である。言うまでもなく摩耗する。元気のないときならなおさらだ。

 「愉しむ」とはいえ元気ではないので、いつものようにゲームで愉しむとか散歩をするとか、そういったことはできない。では何をするかというと、分析をする。「調子が悪いのは原因(A)があるからで、条件(B)ならばたぶんちょっとはましになるだろう」というふうに、回復への道のりを考えるのだ。今回は自分の生活が大きく崩れたので、立ち直るために必要なことを頭が回らないなりに書き留めておいた。いま見返すと字がおどっていてすさまじく汚い。別人の文字である。
 しかし、何度も言うように決して調子はよくない。分析ができるのも、比較的元気になってくる後半である。それまで頭はまったく動いてくれない。youtubeの動画をクリックしても、ずっと読込中で再生が始まらないときのような感じである。そういうときは、あきらめてアプリを閉じるように、「無」になる。部屋にいるただの置き物と化す。何もできない無力さは押し寄せてくるものの、抗う術がないのだからしかたがない。元気になったころには「日常で無になる時間もそうないし、まぁ必要だったのかもしれないな」と思えるようになっている。何度も抑うつ状態になると、そういう考え方も身についてくるものである。
 しかし一方で注意しておきたいのが、このまま放置しないことだ。長く続いたら病院に行く。自分で原因究明ができないとき、信頼できる人間に委ねることは大事だ(医師でなくてもよいと思う)。「長く」というのも個人差があると思うが、わたしの場合は2週間くらいをみている。1週間では短いし、1ヶ月では長い。
 最近は、そういう感じで抑うつを乗り切っている。とはいえ終わりかけから愉んでいるというだけで、真っ最中のときはそれどころではないから、有効かどうかは甚だ疑問である。しかし、終始思いつめているときに比べればなんとなく気楽になった。

 最後に、抑うつと愉しいがつながった理由をもうひとつ書いて終わろう。それは、創作のねたが降ってきやすいことだ。なんだか具合の悪いときのほうがよく浮かぶ。とくに絵はそうかもしれない。エネルギーが枯渇してイマジネーションが削がれているはずなのにふしぎだ。現実のことを考えられないから、決して辿り着くことのない非現実を訪れるのだろうか。
 調子がよくないので実際にアウトプットする元気があるかは別問題だが、現実のつらいことや悲しいことを考えたくないとき、想像の世界はいい避難所になっているのかもしれない。今思えば抑うつということばを知るより前から、しばしば想像の世界に浸っているこどもだった。ひとつ残念なことがあるとすれば、浮かんできたものを書き留めておかないと、元気になったときはケロリと忘れてしまうことだろうか。

 読んでくださり、ありがとうございます。今回は書き留める余裕がなかったので忘れてしまいました。また具合の悪くなった時におりてきてくれることをいのります。

精神
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ヒプノシア

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