精神疾患は「完治」ではなく「寛解」ということばを使う。下の記事がわかりやすく説明しているが、要は「一度かかると再発しやすくなるから、気をつけて過ごすんやで。」ということだ。
うつ病は風邪のように”治る”ものではない 「治る」が意味する3つのかたち

波がありつつも最近そこそこ元気に暮らせているわたしも、再発のリスクがあるということになる。実をいうと一度?二度?再発している。どちらも程度が軽く、すぐ対処したのでなんとかなったものの、気を抜くと容易に再発してしまうんだなぁ、と肝を冷やした。
一度精神疾患になった者にとって、寛解後の暮らし方が生活の質を維持する鍵になることは言うまでもない。今日はわたしが気をつけていることを書きたいと思い、筆を執った。あくまでわたしの症状に対するアプローチなので、当事者の方に当てはまらない箇所があることはご了承願いたい。また、わたしは論理的に物事を処理したいタイプなので、病気のときのエピソードと向き合って対処していくシーンが主である。そういったことがつらい場合、この記事はおすすめしない。
わたしの病気は医師の診断によると「社会不安障害」であるが、社会不安障害を検索しても一致するところと、しないところがある。それどころかうつ病等、別の病気の症状に一致するところもある。ここで大事なのは診断名より、発症・悪化したときのシチュエーションを繰り返さない、ということに尽きる。つまり寛解キープの第一歩は、発症・悪化したときのシチュエーションと向き合い、分析することである。やってみてわかったが、これが果てしなくつらい。ボロ雑巾よろしく弱っていた頃のエピソードを思い出す羽目になるからだ。自分が元気で、余力もあるときにやるのをおすすめする。


▼目次
    1. 人の多い公共交通機関をできるだけ避ける
    2. やかましい場所を避ける
    3. 生活のリズムを崩さない
    4. 不調のサインを知る
    5. 調子に違和があったとき、伝えられる人を身近に作っておく
人の多い公共交通機関をできるだけ避ける

満員電車の空気感と乗車する人の目が全部自分に集中するような錯覚を起こし、たいへん息苦しくなったことがあったのでそれ以来満員電車はちょっと険しい。乗れないことはないが、不調をきたすことは目に見えている。
よく考えると、公共交通機関は非常にリスキーだ。具合が悪くなっても任意の場所で降りることができない。すきなタイミングで降りることができないというプレッシャー自体、なかなかのものだ。割と元気なときでも、ふとしたきっかけで不調になる要素に満ちている。
人によってこの駅からこの駅までは幼いころから馴染みがあるので大丈夫だとか、3駅までなら行き来できるとか、バスは大丈夫とか、そういった基準を持っている場合がある。自分のボーダーを知っておくことが大事だ。
わたしの場合、飛行機は特に何も起きないのでふつうに乗る。満員電車のようにぎゅうぎゅうにならないし、高いせもたれがあり、みんな前を向いている。調子がいいときでも人の視線は怖いので、みんなが前を向いている意味は大きい。新幹線より早いし、画期的な乗り物だと思う。

電車とバスは空いている場合は何も起きず、混雑しているときが危ないので、できるだけピークの時間帯は乗らない。一人のときはたいがい一番前か、後ろの空いた車両を選ぶ。誰かといっしょのときはわりと軽減されるので、なんとかなる。なんとかならないときは申し訳ないが一旦降りることもある。電車も皆が前を向いてれば恐怖が軽減されるので新幹線等はだいじょうぶだ。大阪日本橋から河原町まで乗った、京阪かな、あれもよかった。

タクシーは公共交通機関に含む考え方と含まない考え方があるようだが、少なくとも車内で混雑することがなく、とうぜん運転手は前を向いているし、すきなタイミングで降りられるので気に入っている。
通勤も以前は電車(空いている)だったが最近自転車に切り替え、だいぶ気楽になった。

やかましい場所を避ける

渋谷や大衆居酒屋のように音がたくさんある場所や、笑い声が飛び交う場所にいられない。煩雑なノイズが脳を刺激することがつらいし、ひとと向かい合っていても相手の声をうまく聞き取れないことがある。頭ではちがうとわかっているのだが、すれ違いざまの笑い声や誰かを揶揄する声が全部自分に向かっているような気がして、他人がもうれつに怖くなる。思うに、わたしは自他の境界がかなり曖昧な状態で暮らしているのでこういったことが起きるのだろう。唯一ゲームセンターは幼い自分を救った場所であるからなのか安心感があり、滞在できる。ホームゲーセンがなくなって、だいぶ頻度は下がったけれども……。
これも上と同じで調子によるので、元気なときはなんとか耐えられたりもする。ただ一人では厳しい。友人といると「誰かがいる」という安心感が、音の不快感を軽減してくれる。とはいえ、それでもすすんで行きたいとは思わない。旅行先でも観光地に人が多すぎると「やめよう。」となるような輩である。職場でも、昼に食堂の人数が多くざわついているときは、一番ノイズが入らない隅に座ったり別の場所で食べたりしているし、飲み会も大人数になりそうなら絶対に行かない。10人前後でテーブルがひとつかふたつで、店が小規模なら大丈夫だ。大規模な店にあまり行かないのもそういったことが由来している。

生活のリズムを崩さない

わたしはものごとの順番を大切にしている。予め順番を決めておくことで安心につながるからだ。生活リズムが崩れることで、決めておいた順序が押し押しになったりスキップされたりすると、予定通りにやりとげられなかったことに対するストレスと不全感がつのる。ストレスと不全感は自己肯定感を削ぐので、極力排除したい要素だ。

「なにもできなかった」日は罪深い。「なにもしない」と決めて過ごした日は「なにもしない」ことを予定に含むので無罪である。ちょっと理解しがたい部分もあるかもしれないが、わたしはそういった考え方・過ごし方をしているので最近は平日も休日も睡眠時間やルーチンワークの時間を大きくずらさないようにしている。それでもだめなときはだめだけど。

不調のサインを知る

ここで発症当時のことを思い起こす必要がある。つらいことだが、知っておくと武器になる。

わたしの場合は食欲の異様な減退(いまは48kgだが、そのときは1ヶ月弱で41kgくらいまで落ちた)や睡眠が崩れるところから不調がスタートしたので、生活の中でそれらが起こり始めたら「ちょっと調子が崩れそうだ。」という目安になる。ほかにも理由なく「死にたい。」と思う数が増えたり、人の言葉を不自然なほどにネガティブに受け取って何日も引きずったりするときは危険だ。

ちなみに、今(2018年9月上旬)は3時、4時の中途覚醒が多いので、たぶんちょっと調子が崩れている。原因不明なのがいやらしいところである。通勤や創作をする元気はあるものの、こういうときに無理をすると一気に崩れるので、無理をしないように気をつけるしかない。先程書いたものごとの順番も、調子の悪いとき用のものにシフトしておくと尚良い。

調子に違和があったとき、伝えられる人を身近に作っておく

不調のサインをつかむことができるようになったら、共有しておくといい。ちょっと伝えて把握してもらえるだけで、心理的な負担がどっと軽減される。別に相手が何かを施して治してくれるわけではないのだけれど、精神疾患に対する風当たりがまだまだ強い中で「そうなんだ。」や「わかった。」と言ってもらえるだけでだいぶ救われた気持ちになる。弱いときこそ受容されるとかなり安心できるものだ。
ここでむずかしいのが「伝えられる人を作る」ことだ。誰もが精神疾患を理解しているわけではないし、未だに「気合が足りない」「甘えている」等の根性論で突き返してくる人間もいるだろう。親が頼りになるかというと万人がそうではないだろうし(何を隠そうわたしもあてはまる)、苦慮する。

わたしの場合は同居人と職場の責任者の方々、そして近しい友人とアトリエの仲間がそれにあたる。共有できる相手は何十人もいなくていいので、各所にひとりずついるだけでどの場所でも安心して過ごせる。病者でない人が多い場所においては打ち明ける敷居が高いので、無理にとはいわない。無理は禁物である。ただ理解のありそうな人に対しては、勇気を持ってみてもいいのかもしれない。わたしは周りに似たような人が集まるからなのか当事者が多く、割と打ち明ける敷居は低かったのが幸いであった。

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以上が寛解キープにおいて気をつけていることだ。これが全てではないが、これを押さえておくだけでだいぶ日々の過ごしやすさは変わる。あらかじめ「やる」こと「やらない」ことを決めておくと、選択に迷うことがないのできらくだ。

人によっておさえるポイントは変わってくるので、何かの参考になれば書き手冥利につきる。