◆今、勤めに出るということ

 4月から、新しい職場(民間の事業所)で働いている。幸先良いスタートになりますようと願ったものの、早速新型コロナウイルスの洗礼を受ける。口を開けば「自粛、自粛」と、これ以上ないオモテナシである。

 今回の感染拡大を受けて、福祉事業所の多くは休所し、電話や訪問対応を選んでいるそうだ。じつは、東京都福祉保健局の通達で休所要請は出ていないのだけれど、やはり安全を、ということなのだろう。

 いっぽうで、職場は対策を万全にしたうえで短時間の開所をしている。来てくれるひとが言うのは「行き場があってよかった」ということだ。家族と同じ空間にいるのがしんどいひともいれば、何もしないと生活リズムが崩れてしまうひともいる。そして、ようやく外に出ることが苦しくなくなってきたひともいる。そういった場を失い、彼らが調子を崩したときに、元の調子を取り戻すのにはそれ相応の時間がかかる。リカバリーに要した時間の分だけ、支援計画も後ろにずれていく。それはすなわち、人生の一部を奪ってしまうことを意味する。じっさい、別で関わらせてもらっている事業は完全にストップしてしまって電話対応に切り替え割っていて、生活リズムの乱れや不調を訴える人が日に日に増えてきている。場をもたない電話は、間を持たせることはできても限界がある。

 ところで、わたしもこの「行き場があってよかった」というのを、今ひしひしと感じている。中学の頃からだいすきなゲームセンターも週一回通っている平川病院のアトリエも緊急事態宣言を受けて当分お休みになってしまったところで、職場だけは屈しなかった。職場にアリガタミなど狂ってしまったかのようにみえるが、いまは幸い興味のある仕事に就き、向き不向きはともかく楽しくやっているからか、行くことがぜんぜんつらくない。また、新生活のルーチンができてきたところで仕事がすっぽり抜ければ、崩壊することは火を見るより明らかである。

 失ってわかることは多いと思っていたが、今回は失わずしてありがたみを実感するという、なかなか珍しい経験であった。行き場があるからこそできることをひとつでも多く見つけ、還元していく技術を身につけねば。

 読んでくださり、ありがとうございます。家でも仕事が捗るのでリモートワークもすきなのですが、ちょうどひとりぐらしになったこともあるのか、人と会えるのがありがたいです。
 それでもやっぱり、だいすきな人たちと顔を合わせたいきもちは日に日につのっていきます。会うということにはなにかこう、べつの力がありますな。

コメント

  1. […]  わたしも職場にという行き場がありながら、言いようのない不安がよぎった。とうぜん職場とアトリエは違う。なにをかくそう、これまではアトリエに通いたくてフルタイムで働くこ […]

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