◆福祉について

 福祉の語源は英語のWelfareです。先日の記事(英語版です)でも書いたのですが、直訳すると「よい旅」という意味です。形容詞のwellに名詞のfareですから「人生という旅をよいものにするようなもの・こと」といった感じでしょうか。

 さて、これが日本語になるとどうでしょう。有名な話ですが、福も祉も「しあわせ」という意味です。「しあわせ・しあわせ」という訳語はwelfareをきっちり表していないように感じます。正直「めでたし、めでたし」みたいであんまりすきになれません(最終的にそうなれば本望なのでしょうが)。ところで「哲学」というなまえも、元のphilosophyと乖離してしまっている感じがして、すきになれません。「知を愛する」というそぼくなことばが、どうしてこうも固そうな文字の中に閉じ込められてしまったのだろう。

 言いたいことは日本語への不満ではなく、一体何がよりよい人生なのだろう(和訳に照らせば、しあわせなのだろう)ということです。このことについて考えるのが、たとえ実現しなくても大切なことなのかな、と思います。福祉のように業界自体がやや閉鎖的なところだと、風を通さないとたちまち停滞してしまう気がするのです。
 「特性はいかにして障害となるか?」でも似たようなことを言いましたが、同じ病名や障害だとしても、当然それぞれの思い描くしあわせはまったく異なります。症状も目指すゴールも十人十色です。しあわせとは何なのかを考えてみると、多くの場合、その答えは当事者自身がもっています。決して支援者の側からあてがうものではないと考えています。 しかしながら、日々の仕事をしていると、制度に則った支援の限界や、支援者側の都合を押し付ける形になってしまう場面が少なからずあるのではないか……という思いがでてきます。

 支援者の立場でいえば、ことばを交わすなかで、彼・彼女は一体何者なのか、何を望むのか、当人にとっての幸せとは何なのか……直接的なことばでやりとりできることはまれですが、ことばの端から少しずつさぐっていきます。時には一緒に探していくこともあるでしょう。当事者から色をもらって、絵を描いていくようなイメージです。
 いっぽう当事者の立場ならば、支援を受ける中で自分とは何か、何を望み、何が自分にとっての幸せなのかを改めて考えるプロセスがもてるといいのかなと思います。ひとは障害によって、これまでの人生で持っていたものを捨てなければならなかったり、諦めざるをえないものが出てきたりすることがあります。そんな中、既存の価値体系を再構成するプロセスが必要な場面は決して少なくないはずです。ときに辛く、直面したくない事実と出会ってしまうこともありますが、そういうとき、共に意味付けをしていくお力添えができるのが支援者なのかな、と思います。

 まとまりがなく恐縮ですが、要するに福祉はとても思惟に富んだ、哲学的な世界だとつよく感じているという話でした。単にわたしが哲学畑のにんげんだからかもしれませんが。その証に二者間の根っこになるものも、古代ギリシアの哲学者たちが大切にした対話-dialogueです。5年かけて、古代ギリシアに戻ってきました。

 読んでくださり、ありがとうございます。ゆっくりと思索にふける時間というのが、なかなか取りづらい昨今ではありますが、やはりなにか、大切なことが隠されているような気がいたします。

精神
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ヒプノシア

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