【ショートショート】◇魚人族のまぼろし

魚人族のまぼろし

 魚人族。歴史上は人間との争いで絶滅したというが、ぼくはどうにも信じがたい。

 祖父の幼い頃に発行停止をくらった絵本を倉庫から出し、思いを巡らす。青みを帯びた身体、やわらかな鰭、透き通るような声。淡いパステルの挿絵を何度見たって、彼らに敵意は感じられない。絵本の中の魚人族は世界中のあらゆるいきもののためにうたう。

 誰もいない朝方の海で、絵筆を走らせる。筋骨隆々とした魚人族のおとこが、太陽の高さまで跳ぼうとする絵だ。大きく発達した鰭が飛沫を上げる。

 気がつくと、見知らぬ少女がぼくの絵を覗いていた。慌てて布でキャンバスを隠すと「いいのよ」と、その青いくちびるを緩めた。男の傍らに少女を描くと彼女ははしゃいでぼくの周りを走り、そのまま海へと戻っていった。

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