◆料理ずき

わたしは料理がすきだが、行程のわりに実りの少ない家事だなぁという印象も同時に持っている。メニューを考え食材を調達し、手順に沿って作って食べて片付ける……、文章に起こしてみると、料理というものには「食べる」フェーズにしか安息の場がない。それ以外の行程では常に頭を使っている。二品・三品同時につくればその負担はより一層である。
それが伊勢丹なんかでお弁当を調達してしまうと、上の行程を経ずにおいしいものが食べられる。デパートでなくともコンビニのお惣菜コーナーが今の時代は充実している。見てみれば白ごはんだけの商品すらある。昔と比べてみたら、料理は家庭にとって絶対必須な家事ではなくなってきている。むしろ洗濯をたたむことのほうが、文明が至っていないため必要そうにみえる。洗濯物をたたむほうが単純作業のように見えるのに、この点はすこしふしぎだ。
このご時世に料理がすきだというのは、わたしの感覚としてはかならずしも必要ではないことをあえてやっている感じがするので、家事労働というより趣味に近い。それでもあえて料理をしているのは、クリエイティブで楽しいからだ。今ある素材で作ることのできる組み合わせを作るのはパズル的でたのしいし、設計図どおりの食卓が完成すると達成感も得られる。必要な時間も短い。音ゲーの段位は20分では取れない。
といいつつ、食材の調達はきらいだ。総合食品売場のだだっぴろい空間が不得手で、そこで見知らぬ店員とやりとりするのも毎度のことながら緊張してしまう。そんな中で「安いよ」とか声掛けされながら食材を選ぶのも気が滅入る。パズルのピースは静かに選びたいのだ。そのため隔週で詰め合わせがくる宅配野菜や、そもそも旬の野菜しか置いていない直売所は選ぶリソースを取らないのでありがたい。豆腐と肉屋は見知ったお店ができてきたので、魚がどうにかなればいよいよ調達のフェーズも楽になる。候補となる店は見当たらないが、その日をむかえるのが待ち遠しい。
それと、調達以外のフェーズが自己完結できるのも料理の魅力かもしれない。音ゲーといい創作といい読書といい、つくづく人と交わる機会を捨象した趣味ばかりだ。こんな内向的な輩に関心をもってくださる方もいて、よろこばしいことこの上ない。これからもよろしくおねがいします。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。選びたくないものを選ばなくていいというのはほんとうにらくです。

コメント

  1. […] 以前、食材選びはパズルのピース集めと似ているということを書いた。となると、自炊はパズルを解くのにあたる。自分で組んだパズルを、自分で解いていく。自炊には献立づくりや食 […]

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