きのう、文芸サークルのふたり(詩音氏・竹雀氏)とランチをした。そのときに平日夜の時間をうまく使えていないという話をした。夜に発生する自由時間の一部を読書に使いたいのだが、疲れなのか気持ちの問題なのか「読み始める」スタートラインにすら立てずにこまっていた。すると竹雀氏が「最近はじめたんだけど、1日ひとつ短編を読むように決めていて、けっこういいよ。」と教えてくれた。
最初は1日1冊読んでいたというのだけれど、やはり勤めているとたいへんで、短編に切り替えたそうだ。読んだあとは書名とかんたんな印象をEvernoteに蓄積しているという。その一部を見せてもらうと長々と感想を書いているときもあれば「つまらん」で終わっているときもあって、その日の余力やきもちの足跡がみえた。はじめておよそ3ヶ月ほどだそうだが、累積した記録の地層はすでになかなかの量だった。
氏は「1日これくらい読書をする」と決めて取り組むことで日々の習慣に組み込みやすいのに加え「やっぱり本を読んだ日の方が、読まない日よりも元気な気がする」と爽やかな笑顔で話していた。本は読まなくても死なないけれど、本ずきにとってはやはり読んだほうがいきいきとするものなのだと感じた。本を読めなかったことによる落胆のきもちも、本が自分に与えてくれるものをわかっているから湧いてくるのだろう。
ものかきを朝にしようと決めた話を書いたとき、村上春樹の「とにかく自分をペースに乗せてしまうこと。」ということばを引用した。今回もここに着地していることに気付いた。また村上春樹がわたしの問題意識のなかに現前している。きっとこれは、村上春樹の短編を読むべしという啓示なのだろう。まずは氏のおすすめしてくれた本を読むのでさっそく村上春樹を……というわけにはいかないが、それが終わったらまた読んでみようかしら。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。今月は不眠と戦っていてぜんぜん本が読めていないのでルーチン化できるかいささか不安ですが、無理せず取り組みたいと思います。きびしければ隔日とか、いろいろくふうもききそうです。
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[…] 友人の竹雀氏からおすすめされた「1日ひとつ短編を読むようにする」というのを、今週さっそく実践してみた。結論からいうと、かなり効果的だった。それどころか、1日2作読めたり、 […]