◆「おもしろさ」を考える

この週末、ポケモンGOでカイオーガ100がでた。ポケモンをやらない方に説明すると、ポケモンは各ポケモンごとに設定された強さ(通称「種族値」、公式名称ではないので留意されたし)と別に、捕まえた個体ごとに強さの値が設定されている。これを種族値に対して個体値と呼び、ポケモンGOの場合は0から100まで幅がある。個体値は捕まえるまでわからないうえ、やりこんだからといっていいものが出るとは限らない。なかでも伝説系は捕獲機会がすくないので、プレイヤーの運命力がためされることとなる。

そこまで個体値を意識してポケモンGOを遊んでいなかったのだが、伝説の100はさすがにうれしい。うれしい……が、あまりにも突然すぎて物足りなさを感じてしまった。なにをかくそう、わたしの倍以上試行しているであろう同居人よりも先に、いい個体が出てしまったのだ。伝説ポケモンでなくとも「100」はそうそう出ないので、面食らう。

ポケモンGOはユーザー層を考えてのことか、戦略面の作りが原作と比べて乏しい。 わざ構成や持ち物、特性など工夫をこらせる要素が、ほぼ皆無である。つまりポケモンGOにおいては、種族値・個体値の値がポケモンの強さに直結する。身も蓋もない言い方をしてしまうと、強いやつを引いたもん勝ちだ。試行回数が多ければ良個体に巡り会える可能性は高まるけれど、絶対ではない。努力と結果がかならずしも一致しないケースが増える。

今回はまさにそれで、もやもやとした気持ちを抱いてしまったのだった。たとえ幸運なほうだとしても「成果がしっくりこない」のだから、わたしの嗅ぎつける「おもしろさ」にはある程度の条理が必要なようだ。ただでさえ人生というものは不条理であるから、選択性のある余暇の時間に条理をのぞむのにふしぎはない。

「外に出て歩く」という要素を加えることで、ガチャを回してはデータ上で「走る」ソーシャルゲームのイメージを刷新したポケモンGOだったが、やはりやりこむにあたっては「運要素の比重の高さ」が合わなかったらしい。だからといって「金輪際あそびません」ということはないけれど、はじめるきっかけとなったミカルゲを携えて歩くゲームに戻っていきそうである。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。「因果応報」ということばがむかしからすきで、あたまのてっぺんから足の先までしみついているなぁと感じます。

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