エッセイ

エッセイ

◆「もの」と思い出

友人・詩音市の「ふたつの棚」というエッセイを読んだ。「もの」にまつわるすてきな一編だ。景観の美しさもおせじにはいいと言えず、治安がいいわけでもない。こんな、ネガティブな印象をもつ土地が、とある棚の記憶によって価値の反転がおきるという、実に興...
エッセイ

◆元気になる経験

きのうのつづき。「いってよかった」の源は元気になった、という経験かもしれないという話をした。ちょっと具合が悪くても、その人(たち)と会うと「なんかいいかんじ」になる。  「いってよかった」が増えてきたのは、単に人と会う機会が増えたのではなく...
エッセイ

◆交流の質

遊びでも外食でも 「いってよかった」 ときと「いかなきゃよかった」ときがある。きもちは正直だ。帰り道での機嫌と翌日の調子で、いやでもわかってしまう。反射的に「たのしかった~またね~」とか言って別れ、電車に乗り込んだとたんに「いや、そうでもな...
エッセイ

◆失敗に笑う

料理に仕事に人間関係、人生は、いろいろなところで失敗がある。生きていればとうぜんのことだ。わたしは失敗続きの人生を送っているくせにとにかく挫折に弱く、すぐ萎縮してしまう。無力感に苛まれ、何も手につかなくなる。そして調子が悪くなるまでがお決ま...
エッセイ

◆「やりたい」のできるひとたち

近頃はなんだか、やりたいことをやって生きているひとによく出会う。彼らはたいてい、本当の年齢がいくつであってもきらきらと輝いている。いっぽうで「やりたくないことをしない人たち」でもある。実はこれが、やりたいことをやるのと同じくらい大切なことな...
エッセイ

◆咖喱は万物の単位也

学生のころは音ゲーに熱を上げていたので、なんでもかんでも音ゲーに換算してものを計っていた。わたしが中高生だったころは1プレイ100円だったので、昼食代や帰りの買い食い代を「音ゲーn回分」というふうに計算してはケチり、音ゲーにあてていた。電子...
エッセイ

◆愛する街が生きているしあわせ

この年になると、生まれ故郷の変化を嘆く声を友人から聞くようになる。バブル崩壊から失われた時代がだいたい30年、30年前のコンピューターゲームをみればリアルが変わるのもとうぜんだと思う。逆に平成という時代をまるごと過ごして、全く変わっていない...
エッセイ

◆個人店からはじまる「ものがたり」

わたしは個人店、それも99%カレー屋に行くのだが、最近はお店の人と話をすることがふえた。きっかけはなんだか「おもしろそう」だったから。じぶんの人生経験からして、お店をひらいている時点ですでに「すごく、かっこいい」し、どうしてそうしたのか「知...
エッセイ

◆団地の隅の整体師

ちょっと行ったところの団地に整体師がいる。整体も病院と同様、ちょっとよくなると行かなくなってしまう場所の代名詞である。今回こそは最後にしようと心を決め、幾度目かわからない「治療開始」だ。  団地特有の重々しい金属扉をあける。予約患者はインタ...
エッセイ

◆たましいになりたい

20歳になって間もないころ、肉体がじゃまでじゃまでしかたがなかった。遠方の人と縁が深かったこともあるし、メスの体を持つことが性そのものに直結してしまうという事実が疎ましくてならなかった。おそらく人生のなかでもっともいろいろなことがあって、自...
WP Twitter Auto Publish Powered By : XYZScripts.com