フライヤーの画像をみて心が奮い立ってしまい、国立民族学博物館の「アラビア書道」の展示を見てきた。大々的に行う企画展示ではなく、常設展の奥に特別展示コーナーがあり、ちんまりと解説と作品とが並んでいたのだが、これが前回行った客家の展示と同じく、非常に味わい深く、楽しかった。みんぱく、やっぱり大好きだ~。
アラビア語はつないで書くようで、その書体のバリエーションと絵やモティフとの絡み合いがおもしろい。現代作家のつくる、書道と絵とが合体した作品は解説とあわせて見やすく、画面のおさまりもよかった。
日本語でも、見ると実は絵になっている・絵の中に文字が!という作品はあるものの、なんだかそれとはちがったおもしろみ・良さがあった。母語は、意味が先にきてしまうからなのか……理由をうまく言語化できないのだが、ひとつはアラビア語をふだん見ることがなく、全く読めないからおもしろいのかなということがおそらく、ある。「アッラーと書いてあるところを探してみよう!」とブックレットに記載があるが、全くわからず、模様に見える。一方で、しっかり書道なので、ことばや文章それぞれには当然意味がある。意味がわかっても十分楽しめるというか、わかるとなお、絵の考察が深まる気がする。そもそもイスラム系の国家が採択していることばになるので、イスラムの外にいる自分からすると、神や世界の捉え方が物語のように読めるのかなと思う。
帰郷して軽く調べてみたところ、東京でもイスラム圏の文化、それどころかアラビア書道を習うことができるようである。どの程度の習熟度から参加可能なのかはわからないが、ちょっとやってみたいかもしれない。わかるようになることで、わからなかったときのおもしろさに加えて、ひとつレイヤーを増やして、感じることや考えることの幅が変わっていくのかもしれない。そこを読み解いていくおもしろさは、読めないからこそかもしれず、母語では味わえないうまみともいえるのかもしれない。また、このレイヤーを増やして何かを認識するというプロセスは、生きていくのをちょっとおもしろくしたり、既存の概念について理解をさらに深めたりと、よさげな言い方をすると「世界の解像度を高める」ことにつながるのだと思う。
読んでくださり、ありがとうございます。ヒエログリフの解読とかをしている人もこの、解像度が高まって読み解けた瞬間にカタルシスがあるのかなと思ったりなど。
コメント