■背に羽織る

とくにハヤカワSFで顕著なのだが、装丁が好みの版を買うこともあり、これまで本はむきだしで読んできた。なんならカバーや帯を外して持ち歩くこともあれば、教科書の表紙や帯は、買ってすぐさま外して捨てていた。

職場におなじく読書のすきな方がおられ、ブックカバーをしていたので理由を聞いてみた。ミステリがお好きなのだが、エログロの混ざったテイストが多めということもあり、そのとき見せてもらった本は後ろのあらすじに「AV女優」「殺人」などと書かれていた。いわく、「こんなの読んでいるんだ」と思われるのが少し恥ずかしく、カバーをしているのだという。なるほど本の内容によっては、周りの方が目にしたときに気になってしまうから配慮ということね、全然気にしたことがなかったです笑。などと返した。

その後、ちょうど九州国立博物館の「はにわ展」に行く機会があり、ミュージアムショップに小さくはにわの描かれたブックカバーがあったので、「そういえば……」と試しに買ってみた。

文庫サイズで、たまたま直近で積んでいた文庫を読む順番になったときにつけてみた。どういうわけかわからないが、本そのままのときよりも「自分のもの」感があった。うれしいとか楽しいという感情はそこまでわかなかったのだが、カバー1枚でこんなにも感覚が違うのかとおどろく。ページに応じてしめる位置も調整ができ、いろいろな本で使えそうだ。

やがて、使っていくうちに愛着もわくのだろうか?育てていけるような革製のブックカバーなんていうものがあれば、読んでいくほど変化をしていって、味わい深いものがあるのだろうか。紙製の、一冊っきりの関係性もそれはそれですてきかもしれない。もしくは、この本だからこのカバーという楽しみ方もあるのかもしれない。

そこでふと、日頃から連れ歩くぬいぐるみに服を着せたり、小物をつけたりする感じと、もしかすると近いのだろうか?と思う。むろん、実用の質が強いことはみとめた上で、ブックカバーや栞というものは、本読みの推し活的な愛情表現のひとつになりうるのかもしれない。

読んでくださり、ありがとうございます。小説と評論や学習書でカバーをわけてもいいのかもなというのは思いました。革があればちょっといいやつをかための本につけて読みたいな。

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