◆グレーの評価をつくる

 前回に引き続き、疲れから得たことについて。

 生活のルーティーンをすべて「できる」こと前提で動いていると、「できなかった」ときの挫折感というか、失敗感がおおきい。そこには「できる」か「できない」かの二者しか用意されていないため、「できる」がかなわなかった時点で得点はゼロになる。そこには「できなかった0点の自分」だけが残る。それが積み重なり、ストレスや疲れになったのが今回の件である……とわたしは解釈している。

 この評価の偏りは幼い頃からあって、親や友人の(おそらく)正当な評価を投げかけられても修正されることはめったになかった。われながら不健全だと思いつつもなかなか改まらないままここまできてしまったのだが、今回大きく体調を崩してから、0か100かの評価基準は生きるのに不適だということがあらためてわかった。今までも「よくないな」と思ってはいたものの、「治さんと今後の人生やりづらいな」というところまでは至っていなかったのだった。りくつの上では自明でも、にんげん、なかなかイメージが至らないと動かないものである。

 そういうわけで、0点でも100点でもないグレーゾーンを設けてみることにしてみた。生活の中だと出来栄えもなにもないので「できる」と「できない」の間に「できればいいな」を設ける。その「できればいいな」は多くつくっておく。極端な話、入浴や睡眠や歯磨きなど社会生活上、重要度の高いものや、既に日課になっていて、すきで取り組んでいる筋トレやヨガが「できる」ラインで、洗濯や自炊や食事など、一度とばしても支障をきたさないものは「できればいいな」ラインに下げる。これまではすべてが「できる」ラインに置かれていたため、できなかった瞬間に0点になっていたが、この「できればいいな」ラインはできたときにはじめて加点されるため、減点(=自己評価の低下)のリスクを下げることができる。わたしはめざす理想が高く、「できて当然」という天の視点から減点してしまうところがあるので、このリスクが下がることはひじょうに有意義である。

 うまくいくかはともかく、自己の呪縛からくる生きづらさを脱ぎ捨てられると、おそらくとっても生きるのがらくだ。理想は捨てなくてもよいけれど、いっきにがんばらなくともよいのだ。

 読んでくださり、ありがとうございます。じぶんでじぶんの認知の変容をせまることができるようになったのは大きな変化だなと思います。

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