◆話下手(1/2)

10年来つきあってきた首の痛みが、いよいよ看過できなくなってきた。動かして違和があるだけならばよいが、酷いときには回らない。行きつけの整体に行くと、肩から来る筋肉の張りもあれば、目の疲れから来るものもあるという。頭と首の境には「風池」という、目にかかわるつぼがある。そこを押してもらうとのたうちまわるほど痛いのだ。
思えば趣味がゲーム、読書、物書きと、目と手を使うものばかりだった。加えて昨年末にkindleを導入し、目の酷使には拍車がかかっていた。仕事でも文書に目を通したり、パソコンの作業があったりと、眼球はフル稼働だ。

目を使わない時間があればましになるのではないかと、耳を使うことを考えてみる。思いの外答えはするっと出て、馴染みはあれど深めたことのない落語を聞いてみることにした。テレビといえば笑点を見て、機内放送は迷わず落語のチャンネルを選んでいる私である。

普段の生活の中で、何かを聞いて過ごすということをしてこなかった。物を書くときも無音だった。挫折してしまわないよう、笑点でも馴染み深い六代目三遊亭円楽師匠のものを選び、おそるおそる再生してみる。ごろりと寝そべり、目を休めるべく目を閉じた。円楽師匠の言葉を受けて場面を思い浮かべ、登場人物である親子の歩みを追っていった。

そして気がついたら、次の話に移っていた。これではいけない。趣味が『睡眠』になっては昼夜逆転してしまいたいへん難儀である。体質のこともあり、昼夜逆転は最もあってはならないことのひとつなのだ。

まずは聞く姿勢からしてなっていないのだと自らを叱咤し、最初から再生しなおす。言葉を受けて場面を想像することに加え、そのときの言葉があとあとどういったつながり方をするのかを考えながら聞いた。するとしっかり「落ち」まで聞けて、小さな達成感があった。

噺を聞き終えて、人のことばをこれほど「研ぎ澄まして」聞いたことはなかったかもしれないと思った。同時にそのことが、私のコンプレックスのひとつである「話下手」の理由なのではないかと思えてきたのである。

コメント

  1. […] わかりづらい」表現を指摘してもらうことで段階的に①の要素を含んでいることもわかる(前々回、前回に書いた話下手も①と③の複合ケースである)。また「お酒が飲めるようになって […]

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