福祉の資格取得(精神保健福祉士)の際に訪れた実習先で、今でも深く残っている言葉がある。
「人がなにかをなしえないとき、その理由は大きく分けて3つある。①知らない②できない③やらないだ。それによってアプローチの仕方は変わる。」
シンプルだが示唆に富んでいる。ひとつめは文字通り、やり方がわからないので「できない」ということだ。たとえば、わたしはコンテンポラリーダンスが「できない」が、それはやったことがなくて方法がわからないからである。この場合は教室に行ってレッスンを受ける等、教授してもらうことで解決できる。
これがやり方を聞いて、どうしても身体等の制約(足が曲がらない・同じ姿勢を維持できない・音楽に合わせるのがむずかしい等々……)があったりすると②になる。これはアプローチが難しい。わたしの場合、だいたいここで無理強いはしない(ようは諦める)タイプである。ラジオ体操に立ち戻るかもしれない。
最後の③は、知っていて、できるが「やらない」ということである。習って、ある程度できるようになったが別におもしろくないからやらないとか、そういうケースだ。この場合は別のところからモチベーションを呼び起こすようなアプローチが必要になってくる。コンテンポラリーダンスを通して友人ができるとか、プロポーションがよくなるとか、ダンスを経て得られるであろう財産を提示するのである。学生時代のわたしは③が多発しており、要は合唱祭とか体育祭とか、別にやったところで自分に利のなさそうなことはとことんやってこなかったのであった。
怠惰な学生生活のことはさておき、これが今の仕事に役立っていることは言うまでもない。さらに自分の「できない」に対してもこのアプローチをすることで、結構生きるのが楽になった気がする。
自分の「やりたいけど、現状できていない」ことを書き出して、どこにあてはまるのかを考えることがある。たとえば「毎日文章を書きたい」「文章がうまくなりたい」は③だ。両者とも「四の五の言わずにまずは書け」ということに尽きる。そのあと赤入れをしてもらって「知らない」表現を教えてもらうとか、「実は第三者から見るとわかりづらい」表現を指摘してもらうことで段階的に①の要素を含んでいることもわかる(前々回、前回に書いた話下手も①と③の複合ケースである)。また「お酒が飲めるようになってきたので、おつまみを作れるようになりたい」は①だ。今まで宅飲みと無縁の生活だったので、レシピサイトを見ることからスタートだ。自炊していることもあるので、たぶん「できる」に変換できそうな気がする。もちろん②にあたるものだって出てくる。そういうものはよっぽどこだわっていない限り諦めるのだが、こだわっている場合は実際にやってみて、「できない」という実績を持ち帰って納得できている。今のところ。「向いてないんだな」とか「まぁわたしがやらなくてもいいか」とか、そういう着地ができる。絶対自分がやらないとならない!という「やりたい」ことは、現状わたしの中にはないらしい。まぁそれくらいのほうが、気楽なのかもしれない。
書き出してまとめるということをしなくなって久しいが、やってみるとなかなかの実りがある。なにかを「できる」か「できない」かで自己評価の程度は大きく変化するので、自己肯定感を養うのにも一役買うかもしれない。
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[…] きのうに引き続き、「やりたいこと」の話をしたい。 […]