◆本名の居処

 ひとは場面によってさまざまな顔を使い分ける。わたしの場合は大きく分けてふたつ、「本名のじぶん」と「ハンドルネームのじぶん」だ。本名は職場や家や公的手続きのときに使って、ハンドルネームはゲームや創作のときの名前、つまり「みかげ」や「IGYO10(さいきんはIGY0)」だ。

 これまでの人生は本名で過ごす場所では居心地の悪さや不全感があり、すきになれなかった。学校や親類や病院なんかだ。病院は非常時なので置いておいて、ほかはかっこよくもなければ退屈だ。

 いっぽうでゲームをはじめとする「みかげ」はゲームセンターとの出会いから生まれ、何度か名前を変えながらも今にいたるまでわたしを救ってくれている。その思いを語りだすときりがないが、数年前はハンドルネームで社会生活ができたらどんなにいいことかと本気で思うくらい、本名の世界にうんざりしていた。名前を聞かれたときに答えるのが恥ずかしくてならなかった。本名社会に適応できていない自分を、名乗るたびにつきつけられるような気がしたのだ。

 しかし、ここ1,2年はアトリエとの出会いや今の職場環境のおかげで、本名への嫌悪感が軽減してきた。じぶんの名前を名乗るのに前ほど抵抗感をおぼえなくなってきたのだ。今でも名乗るときにわだかまりは残っているし、病院などで名前を呼ばれたときにすぐ反応できないこともあるが、数年前よりだいぶましだ。

 ようやく抵抗のとれてきた本名のわたしのため、自分のなかに場所を作ってやらないといけない。これまではみかげが100/100だったが、これからはちょっと譲らないとならない。みかげさんのやりたいことだけをおし進めるわけにもいかない。これまでゲームばかりしていたのはそういうことだったのかもしれない?今となってはよくわからない。いまや関心は本、文章、絵、ゲーム、精神保健のこと、歴史、動画、語学とおそろしく広がってきている。ぜんぶ一所懸命では心も体もまにあわない。どうしていけばいいのか、バランスが大事だ。くれぐれも仲違いのないように、うまくやっていきたい。

 今日も読んでくださり、ありがとうございます。本名世界の関心を肯定してくれた方々と出会えたことも大きいと思います。

借りた本。ヨーゼフ・メンゲレはナチスで人体実験を行っていた科学者で、戦後の逃亡記録について書かれたのがこの本です。予約して一ヶ月くらいかな、待ちました。
二冊目はたまたま入り口に並んでいて、目に入って借りました。朝鮮のある村で筆者が幼少期体験した戦中の出来事をもとに書かれた短編集です。

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