エッセイ

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◆「やりたい」のできるひとたち

近頃はなんだか、やりたいことをやって生きているひとによく出会う。彼らはたいてい、本当の年齢がいくつであってもきらきらと輝いている。いっぽうで「やりたくないことをしない人たち」でもある。実はこれが、やりたいことをやるのと同じくらい大切なことな...
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◆咖喱は万物の単位也

学生のころは音ゲーに熱を上げていたので、なんでもかんでも音ゲーに換算してものを計っていた。わたしが中高生だったころは1プレイ100円だったので、昼食代や帰りの買い食い代を「音ゲーn回分」というふうに計算してはケチり、音ゲーにあてていた。電子...
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◆愛する街が生きているしあわせ

この年になると、生まれ故郷の変化を嘆く声を友人から聞くようになる。バブル崩壊から失われた時代がだいたい30年、30年前のコンピューターゲームをみればリアルが変わるのもとうぜんだと思う。逆に平成という時代をまるごと過ごして、全く変わっていない...
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◆個人店からはじまる「ものがたり」

わたしは個人店、それも99%カレー屋に行くのだが、最近はお店の人と話をすることがふえた。きっかけはなんだか「おもしろそう」だったから。じぶんの人生経験からして、お店をひらいている時点ですでに「すごく、かっこいい」し、どうしてそうしたのか「知...
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◆団地の隅の整体師

ちょっと行ったところの団地に整体師がいる。整体も病院と同様、ちょっとよくなると行かなくなってしまう場所の代名詞である。今回こそは最後にしようと心を決め、幾度目かわからない「治療開始」だ。 団地特有の重々しい金属扉をあける。予約患者はインター...
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◆たましいになりたい

20歳になって間もないころ、肉体がじゃまでじゃまでしかたがなかった。遠方の人と縁が深かったこともあるし、メスの体を持つことが性そのものに直結してしまうという事実が疎ましくてならなかった。おそらく人生のなかでもっともいろいろなことがあって、自...
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◆本名の居処

ひとは場面によってさまざまな顔を使い分ける。わたしの場合は大きく分けてふたつ、「本名のじぶん」と「ハンドルネームのじぶん」だ。本名は職場や家や公的手続きのときに使って、ハンドルネームはゲームや創作のときの名前、つまり「みかげ」や「IGYO1...
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◆英語学習の途

韓国語に引き続き、英語もついでに勉強しておきたい。とくにきっかけがあったわけではなく、なんとなく日常的に触れておいたほうがいいだろうなと思ったのだ。 まずは身近なものからと、スマートフォンの言語設定を英語にした。いくつかのアプリは本体の言語...
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◆理想の休暇

先週のことだ。くだけた言い方をすれば「めちゃくちゃ」いい休暇をとれた。 その週は具合がわるかった。しごとを休まなかったのが奇跡といえるくらいだ。外来でも話をしながらじぶんがなにを話しているのかよくわからず、しまいには医師の提案に対して「調子...
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◆わたしの「書きたい」こと

これまで11ヶ月、実にいろいろなことを書いてきた。趣味や生活改善、書くことそれ自体や日々感じたことなど、とにかくいろいろだ。 1年を迎える前に、記事をぱらぱらと読み返した。2年目も目前にして、立ち止まる。 果たしてわたしの書きたいことは何な...