◆愛する街が生きているしあわせ

 この年になると、生まれ故郷の変化を嘆く声を友人から聞くようになる。バブル崩壊から失われた時代がだいたい30年、30年前のコンピューターゲームをみればリアルが変わるのもとうぜんだと思う。逆に平成という時代をまるごと過ごして、全く変わっていないところがあるとすれば、それはそれですごい。

 わたしは生まれ故郷を愛せずにいて、せいぜい家の前の畑が家になっちゃったな、持ち主が高齢化したから土地の運用仕方を変えたんだなというくらいで、ノスタルジーはない。むしろ、音楽ゲームと出会い、人付き合いをぐっと広げ、人生を変えるきっかけとなった「立川」(東京都西部にある繁華街)への思い入れが深い。

 立川はわたしの故郷よりおぞましく変化して、変化して、今でも変化しつづけている。そのめまぐるしさが、ちょっと不気味ではある。音楽ゲームをはじめるきっかけになったゲームセンターはもうないし、学校だって卒業してしまったし、町並みもここ10年ちょっとでずいぶん変わった。そこに寂しさはある。

 だが、立川はまだ「思い出」でなく、今でも生きている街だ。

 あたらしく見つけた、だいすきなお店がたくさんあるし、今年2月にオープンした町外れのゲームセンター「WILL」と「WGC」は今のような明るく小奇麗なそれではなく(きれいだが)、昔ながらの「居場所としてのゲームセンター」の風土を継承しながらやっておられる。本を読みたいと思ったら駅のそばに蔵書にめぐまれた図書館があり、大きな書店だってある。最近では映画に興味もでてきた。立川にはシネマシティと、先月末に高島屋の中にミニシアター系のキノシネマができた。タイミングがよすぎる。わたしの息遣いとともに街が進化しているのではないかと錯覚するくらいだ。

 立川は、わたしの愛がふんだんにつまった場所だ。自分史をふりかえっても、この先ここに代わる街はない。今後も変化を続けていくだろうが、大切にしていきたい。そのためには経済をまわすこと、公共施設をつかうこと、その街の息を吸うこと……できることはたくさんある。

 そんなことばかりしているから、街から出なくなってしまうのだが……。

 今日も読んでくださり、ありがとうございます。「便利だから出ない」というよりは「すきだから出ない」という感じです、わたしは。こう、あまり便利な部分は享受していないのですね、主にショッピング。

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