ぶじ、年があけました。今年もどうぞ、よろしくおねがいいたします。ここでまた、いろんなひとに会いたいです。

いつものように窓をあけて思う。澄んだ空気の季節に1年のはじまりがくるのは、ほんとうにすてきなことだ。はるか昔のにんげんたちもこういう空の下で元旦をむかえていたのかとおもうと、なんだかふしぎなきもちになる。静かですがすがしくて、しかし確実にひとつひとつのいのちが脈をうちながら息をしている。

うちにはカレンダーがないので、新年になって最初にかわるのは手帳だ。カバーから2018年の手帳を外すと買ったときの姿はそこにはなく、ぼろぼろにくたびれて、たわんで、1年使い込んだあとがありありと残っていた。つい、2019年の手帳をならべて写真を撮ってしまった。右が2019年、左が2018年である。げんみつにいうと2019年のものは2018年とまったく同じ種類ではなくて、同じ「ほぼ日手帳」でも半年ごとの分冊モデル「avec」なのだが、めでたい時期にげんみつすぎなくったって、怒られはしないだろう。朝からおさけを飲むかどうか、おぞうににもちを何個を入れるかのほうが、ずっと大切だ。

見ておわかりになると思うが、ぜんぜんちがう。こうしてみると1年ごとに手帳が売っているわけが、よくわかる。そしてぴかぴかの2019年手帳も、おなじように使っていけば来年こうなる。さきほどまで2018年版をカバーから外すのが名残惜しかったはずなのに、いつの間にか心変わりして、すっかりわくわくしてしまっている。

わたしは写真をはじめとしてさまざまなものをデジタル化して暮らしているから、時たまこういったアナログの味にふれるとつい、ちびちびと味わってしまう。おもえば、遠足のときにもらった飴玉をいつまでもなめているこどもだった。この1年のあいだになにが起こるのか、そしてこの手帳になにを刻んでいくのか……飴玉をひとつずつ口に入れるのが、たのしみでしかたない。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。またここで会えたらうれしいです。