◆しずかなまちのまぼろし

正月とはいえ、あまりとくべつなことはしない。するとしても実家に帰るのと、おせちくらいである。帰省はもう少しめでたいムードが落ち着いてきた頃にやって、おせち料理は重箱につめた晴れやかなものでは到底なく、自分の食べたいものをつくって、いつものラバーメイドのタッパーに入れておく。昨日の昼はさっそくのこりもののパスタを作っており、おせち感はまるでない。

ことごとく季節のイベントを無視して生きているわたしも、この時期すきなものがひとつだけある。それは、元旦の町を歩くことだ。近くにある繁華街のようすが、全然ちがうのだ。「今日のおすすめ」の書かれた看板やクーポン配りのひとも、道端に停まっている車もなく、道はすっきりと広い。なじみの店も松飾りをちょこんと扉につけ、しんとしている。とうぜん人通りも、ざわつきも小さい。ふだんの様子を思うとまるで非日常のようで、胸がおどる。にもかかわらず駅前のテレビ広告は、大音量で同じコマーシャルを繰り返している。不釣り合いな音がすきまだらけの町に響く。こんな大きな音がくりかえし落ちてきているというのに、いつもはひとのざわめきで、叫びで、サイレンの音で、あんまりよく聞こえてこない。そのことが騒音にさらされている日々を裏付けているようで、恐ろしかった。

元日の町はおもしろい。しかし一方で、発展しすぎてしまったがゆえの利便性がところどころに残っていることも確かだ。テレビ広告に加え、立ち並ぶチェーン店はほとんど営業している。ここで、じつは地方都市も、完全なる静けさをまとった元日はすでに姿を消しつつあるのではないかと考えた。そこらじゅうに巨大ショッピングモールが乱立し「1/1から営業いたします!」とホームページに堂々と書かれている。そして営業の裏には働くひとがいる。利便性の牙は、静けさと人々の安寧を食いちぎって、まぼろしにしているのかもしれない。

ひとしきり散歩をしてから、遊んで帰った。音から逃げるように越した静かな家。決して便利な環境ではないけれど、こころ落ち着く場はここなのだと再びたしかめて、とろとろとねむりにおちた。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。接客がAIのわざになったら接客業の方々も多く休めるなぁ、などと考えたのですが、それでも機械を見ておく人がきっと必要で、だったらやっぱりお休みにしたほうがいいなと思います。とかいいつつ、きのうはゲームセンターで遊んでいますから、思いと行動がたいへん矛盾しています。

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