◆周回の醍醐味

長らくここに来てくださっている方はおわかりかもしれないが、このサイトでは同じトピックで何回もエッセイを書いている。決して書いたことを忘れてしまったのではなく、自分の中で少しずつ変化があるために記録をしている。傍から見ればつまらないことかもしれないが、自分にとってはマイナーアップデートにほかならない。

これをゲーム的にいうなら、周回である。周回とは、遊び終わったものをもう一度やり直すことだ。わたしは気に入ったゲームをへいきで何周もするので、MOTHERシリーズとFF9に関してはもう何回めかわからないくらいループしている。何周もしていると一周目には気づかなかった世界観や伏線、キャラクターの細部が少しずつ見えてくる。また、勝手をわかっているので効率もよくなり、さらなるやりこみ要素に挑戦することもできるようになってくる。よいゲームであれば、周回すればするほど味わい深くなって、思い出に残る。わたしの価値観の半分がMOTHERシリーズとFF9にあるといっても過言ではない。

これは、ものづくりにも言えるような気がしている。というのも、同じひとの作品を見ていると、その人の根底にある問題意識が作品をつくりあげる原動力になっているのかな、と感じることがある。彼らは自らにとって重要なテーマを抱きながら、「つくる」というやり方で周回をくりかえしているのかもしれない。

思えばこどもの成長もそうである。ハイハイができたとかつかまり立ちができたとか歩けたとか走れたとか、同じところをぐるぐるとめぐる中に親は成長を見出し、ときに記録するのだろう。

これらと同じことが、わたしの人生のなかでもくりかえし起こっている。筋トレ読書音ゲーファッション文章……すべて飽くことなく記録を続けているのは、同じようで常にあたらしい何かをつかんでいるからだ。おとなになると親の役割は消えるので、自ら変化や伸びをキャッチして周回していく。それがまさに今、このエッセイたちで、遅筆な小説で、たまにつくる絵のような作品で、人生全体である。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。周回しているってことは、自分の人生がまんざらでもない証拠かもしれませんね。

コメント

  1. […] ることを実感できたのも、ゲーム一筋で生きてきたわたしにとっては大きな事件であった。先日、自分の価値観の半分はMOTHERシリーズとFF9にあると言ったが、残りのうちのいくぶんかは […]

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