疲れがぬけない。体調はすこぶるよいが、頭のなかがいっぱいなのだ。本を読もうにも文字が網膜でしっかりキャッチされず、内容が入ってこない。今週はぬけがらのような読書だった。

こうなったのにはわけがあって、先週の旅行である。実はあの旅は、被災地を実際に見て、現地のひとに話を聞いて、もっと深く知るために行った。 行き先は福島の、帰宅困難区域とその周辺地域だった。帰宅困難区域は原発事故の影響で、まだ住民が帰ることが許可されていない町のことだ。いざ町を歩いてみると、外見はそのまま残っているものの、人通りはない。野生の動物が徘徊するゴーストタウンの、異様な静けさ。案内してくれた方が、実家を見せてくださるという。こちらも外見はふつうの日本家屋、しかし門をまたいで入ってみれば、中は泥棒やいのししなどの動物に荒らされて、惨憺たる有様だった。人の手を離れた田んぼから伸びる木々は、8年の間で飛んできた種子が、そのまま育ったものだという。現地の人が運転をしながら解説をしてくださる。そのひとつひとつが単なる「福島の悲劇」ではなく、日本全体の抱える歪んだ社会構造であるとか、破壊されたこころをそのままにして時代を進んでいっている様相であるとか、そういったことを連想させた。問題そのものは福島だけのものではなくて、この島国と、星と、地続きなのだ。

戻ってきてからずっと、わたしという卑小なにんげんにできることを考えている。もっと社会全体のすがたを概観して、できることをしていかなければ。仮想敵はあまりにも大きい。一生ものの宿題を背負った気分だった。もちろんまだ答えは出ない。ひとつ、核心に近づいていることがあるとするならば、じぶんの病気や障害に関することを共有し、生きているなかでたいへんなことや疑問、対応するための術を交換しあうことだ。なんとなくオフラインで親しいひとと「みかげ」さんとしてこのブログでおつきあいのある方にしか共有していないのだけれど、それだけではわたし自身の変化だけで、力及ばぬ気がしてならない。病気や障害というのも、精神の場合はなおさら、社会との接点やそのつながり方が重要視される。それもルーツをたどっていけば個人と家族、会社、学校というようなミクロな構造ではなく、社会全体がつつむマクロな構造のなかに発生しているものだと感じる。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。800字ちょっとでは到底語れない内容なのですが、ちょっと整理できてきたので書きました。生き方の指針にもなるような収穫もあり、とてもいい旅でした。