万年筆のインクが切れると、部品を洗ってから新しいものに替える。分解して一晩水に浸けてインクを吐かせ、きちんと乾かしてインクを補充し、ペン先になじむのを待つ。わたしは毎日の記録に万年筆を使っているうえにかなりの記録魔なので、およそ月にいっぺんはインクを替えることとなる。

万年筆の不在はおよそ2,3日で、間に合わせに使うペンはどこぞでもらったかも知れぬ、販促品のいいかげんなペンだった。しかし、それも職場専用のノートに転用することとなり(要するに、じぶんの手帳だけでは記録が間に合わなくなったのである)、家に残ったペンは製図用のドローイング・ペンだけだった。ペン先0.1mmのそれはもともと絵を描くために購入したものの、実際ふたをあけてみれば水彩やマッキーで制作をすることが多く、日の目を見ないまま引き出しに眠っていたのだった。

いざ記録をしてみるとわたしの小さな字と相性がよく、思いの外使いやすい。力加減や向きで文字の趣が変わるという、万年筆のもつ味は皆無だが、太さが均一なおかげで読みやすさはドローイング・ペンに軍配が上がる。そういえば値段も安かった。わたしにとって文具は嗜好品なので、安く上げることが目的ではないのだけれど、筆記におけるドローイング・ペンの強みがよく伝わってきた2日間だった。

ドローイング・ペンと打ち解けてきたころに、万年筆が戻ってきた。文具にかぎらず、人生とはおよそそういうものである。筆記してみるとやはり、にじみとかゆがみとか濃淡とか、さまざまな表情が見えておもしろい。この情緒の豊かさをみると、洗う手間さえいとおしくなってくる。ドローイング・ペンに揺らいだ2日間を、たったの2行ですっかり忘却の彼方へと追いやってしまう。まったく、のんきなものである。

役目を終えたドローイング・ペンは悟られぬようにその場を去り、ふたたび引き出しでねむる。次のインク切れの際にすぐわたしを助けられるよう、いちばん手前に待機している。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。定位置のないものたちを引き出しの中に何でも入れるものですから、電池、本、ノートの備蓄、印鑑、美術展のチケット、PC用メガネ……だいぶ、混沌としてきています。