きのう、家事からゲーム的要素を見出したことを書いた。出勤してからしばらくして、あらゆるアクティビティがゲーム的要素を持っていることに気づく。

わたしの余暇は主に音楽ゲーム、ポケモンGO、そして読書と物書きに充てられる。前ふたつはゲームなので飛ばして、みていきたいのはうしろのふたつだ。読書は一見ゲームの要素の見えない、きわめてアナログなアクティビティにみえる。しかし実際は知識の集積を紐解くことで自らの糧にしたり、ときに新たな世界の扉を開いてくれたりする。経験値をためて強くなっていくのは充実感があり、「UNKNOWN」まみれのマップを踏みしめていくのは冒険のようでたのしい。

さらに、うつくしいことばの実践を目にしてあたまの中にある辞書が肥えていく。これはもうひとつの趣味である、物書きの地盤作りと連動していく。読書のゲーム要素が見えにくい一方で、物書きはとても見えやすい。いわばこれまでの経験を総動員して文章を育んでいく、育成・開拓ゲームだ。よけいな枝葉は切り落とし、こまめに様子をみて、いっぽんの作品がしっかりと根をはって立てるようにしなければならない。出来上がって成果がみえるのはいいところだが、なかなか納得のいくリザルトが出ない。腐った種、曲がった幹、枯れた花、そんなことの繰り返しだ。正解が明瞭でないうえにひとつでないことも手伝い、屈指の難易度を誇る。さらなる修行と称して読書に立ち戻ることもあればひたすら書くこともあるし、ふだん行かない場所に行ってみたり、人と話してみたりもする。物書きは生活とつよく連動するのだ。

思いかえせば、ひまなときはだいたい読むこと・書くことについて考えている。これがゲームなら「毒されている」とか「ゲーム脳」と心配されそうなものを、読書や物書きだと「感心だ」「すごい」と言われる。ふしぎだ。生きることぜんたいがゲームに包まれている女の、なにがいったい「感心」なのだろう……!まぁ他人からの評価は置いておいて、今日もひきつづきゲームをしよう。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。「いっつも書くことに考えているくせにじっさい書かないのはどうなのよ」という手厳しい指摘が、自分のなかにいるおねえさまから響きます。まったくそのとおりです。