◆夏のからだ

「どうやら、わしはここまでのようだ……。」

からだが屈しはじめた。例年よりだいぶ早い。今年は5月に入ってからよく晴れた日がつづき、なかには暑さを感じる日すらあった。「暑さというにはまだ早かろうに。」という声もあろうが、めっぽう弱いのだ。

まず食に変化が出る。秋冬と食べる量が増えていったのが、梅雨・夏を挟んでがくんと落ちる。しかし今年は、梅雨の「つ」の字も見えないのに、既にはじまってしまっている。食後の不快感であるとか、飲み下したはずのものが逆流しそうな感覚であるとか、そういうものが新緑とともにからだのなかに芽吹いている。爽やかさはみじんもない。

そのあと徐々に活動量が減り、夏になって体調に出てくるのがいつものパターンだ。こちらはさすがに、まだ大丈夫そうである。

秋冬と隆盛をきわめ、梅雨まであともう一歩というところで音を上げてしまったのにはわびしさがある。毎日筋トレをしていても、バランスのそこそこ取れているであろう自炊を続けていても、こうなってしまった。なんのためのトレーニングなのか、なんのための食事なのか、自らに問う。

「別に、毎日をげんきに過ごすためにやってないよ。たのしいからやってるんだよ。」

そうだった。わたしは筋トレも自炊も「たのしい」からやっている。それ以上の目的はない。まるで幼児だ。しかしこう、やっていることに実りのあるほうが、やった気がするではないか。合理性をもとめるべつの自分が幼児に悪態をつく。とうぜん幼児は気にもとめない。暖簾に腕押しである。

夏のからだに切り替わってしまった以上、げんきなわたしは秋──とはいっても暑さがおさまるころなので、だいたい10月くらいをみている──まで影をひそめることとなる。しかし、こうも切り替わるのが早いと、今年は暑さに屈しないからだづくりをしたほうがいいような気がしてくる。なにせまだ5月のなかば、10月までは5ヶ月ある。1年のおよそ半分を、暑さに屈したまま生きていいのか、わたしよ!

今日も読んでくださり、ありがとうございます。冬は憂うことがなくってほんとうにいいなぁ。恋しいです。

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