旅行で、とくに飛行機を降りたあと「ようこそ、〇〇(地名)へ!」という看板が到着ゲートにくっついている。最近は各国の言語でこれが書かれているが、なかでも目を引くのは「熱烈歓迎」である。

これはわたしが日本人で、漢字になじみがあるのも関連しているだろう。「Welcome」やなど他国の言語にくらべ「熱烈歓迎」は、漢字の意味や成り立ちをイメージできるからか、よけいにいきおいを感じてしまう。たとえ「Welcome」の語源が古英語の「willa(喜び)」と「cuma(来訪者)」が合わさったことばだと知っていても「熱烈歓迎」を超えるインパクトはない。なんといったらよいのか、漢字からは温度を感じるのだ。

「熱烈歓迎」はしょっぱなから「熱」とあるせいだろう、と言われれば否定できない。それにしても「Welcome」から感じるのが通常の「ようこそ!」だとすると「熱烈歓迎」には「なんていうか来てくれてめっちゃ嬉しいわ!!!!!」くらいの熱が伝わってくる。

温泉やお手洗いでも漢字のポップや注意書きをよく見る。ここまでいろいろなところに貼ってあるのは、マナーの問題だけではなく、ライフスタイルが異なっていることの証左でもあろう。この「近いのに遠い」感覚も、漢字から温度を感じる一因なのかもしれない。

おもえば文章を書いているときも意図的に漢字にしたり、しなかったりする。わたしはあいまいさを回避し、読み手とのギャップを減らしたいときに漢字を使う。ひらがなの元は漢字だけれど、借りているのはその音だけだ。漢字をカルピスの原液とするなら、それを水で薄めたものがひらがなだ。漢字からは主張の強さを感じ、ひらがなにはゆらぎがある。うまく使い分ければ、同じ文章でもさまざまな温度をあらわすことができる。それが複数の文字を使うことのおもしろさだと思う。

日々、両の目に文字が入ってくる。無意識のうちに、ことばの温度を計っている。

「はたらきたくない。」

脱力し、どこか諦めのあるようなぬるさ。

なんとなしに「我不望労働。」に変換してみる(文法は知らない)。やっぱりなんだか、温度が上がった気がする。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。わたしが漢字ずきの欧米人だったら「熱烈歓迎」を彫ってもらうかもしれません。もちろんチャイナレッドで。