自転車通勤をはじめて、もうすぐ1ヶ月になる。豊かな自然にめぐまれた通勤路は、電線の上に鳩がとまっているときはちょっと怖いけれど、そうでない日は何度通ってもすがすがしい。10年選手になる自転車は浅い段差を上り下りするたびにタイヤがポンポンいうし、鍵の部分が錆びていてうまくしまらないときがあるし、ハンドルもちょっとききづらいものの、今のところはうまくやっている。秋は旅行が控えていて資金が潤沢でないから、あと3ヶ月くらいはがんばってもらえるとうれしい。
10分そこそこの通勤路でも、いろいろなルートを選べる。桜並木の影が豊かな路もあれば昔ながらの大きな家が建ち並ぶ路もあるし、ふつうサイズの住宅街の細い道をくねくねと攻略していく路だってある。3つ目の路に関してはとてもわくわくしながら職場に行けるのだが、そのままどこか遠くに行ってしまいたくなるのと、不必要な迂回や車とのすれ違いが多くて始業時間ぎりぎりになってしまったので、それ以来通っていない。なんにせよ1ヶ月を目前にしてわかったことがあって、それは最初に通勤していたときよりも、走っている時間と距離を短く感じてきている、ということだ。
「年をとると1年が短く感じる」ということがよく言われる。日常の中に新奇性がなくなってしまうからだという人もあれば、5歳のときの1年が1/5なのに対し、70歳の1年は1/70だからだ、という人もある。どちらもほんとうだとわたしは考えている。そしておそらく、通勤路にも同じことが起こっている。その日の通勤路は繰り返されることのないたった一度の経験だというのに、数多ある通勤路の経験と同一視されていく。当然のことのようにも、なんだかふしぎなことのようにも思える。
とはいえ自転車は気候によって快・不快が変わりやすいので、短い時間できっちり済ませたほうが始業してからの自分がつらくないかもしれない。そう考えると、このままどんどん短くなって、しまいには一瞬くらいに錯覚してもらえると、猛暑も極寒も乗り切れそうだ。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。思えばアトリエと職場は時間の長さが縮まらないので、いつも新しい何かがあるのかもしれません。