◆かっこよくありたい

宣言どおり、土曜は美容院に行った。髪型がきまらずにあれこれ思案していたのだけれど、定まらないまま行ってみたら行ってみたで、口からは勝手にオーダーが出てくるのであった。
「坊主は一回やりたいけれど腹をくくれておらず、中途半端なきもちでやると坊主に失礼な気がいたしますので、今日はしないことにいたします。」
言葉少ななやりとりでもわたしの意向をつかんでくれたようで、「頭のかたち的に、坊主は似合うと思います。でも、やっぱりけっこう勇気がいるよね。踏み越える勇気が出たときに、やったらいい。」と美容師の方は言った。前回はブロックカットにしましたよね、と確認されてうなづく。
「前回の感じだとものたりないので、もっといっちゃってください。」
思い切って放ってみると前回より攻めぎみな、要するにだいぶすてきなツーブロックをつくってくれた。聞いてみると前回の形をつくっているときすでに、次の髪型のことを考えていたという。おそらくこのひとは美容師というよりアーティストなのだと思った。髪型は顔の額縁ともいえるし、彼は額装(※絵をふさわしい額にかざること)のスペシャリストだ。またここでやってもらおうというきもちが固まった。
1日を終えて帰宅したあと、わたしの中にひとつの思いが浮かぶ。
「これだけかっこいい形を作ってもらったのだから、それに見合う器にならねば申し訳が立たぬ。」
こんな思いを抱いたのははじめてだった。今までは自らの容姿に対するコンプレックスがあって筋トレや食事制限、その他もろもろの肉体改造を行っていた。「髪型ありきでそれに合う器を。」というのは、自然なようで新鮮な感覚だった。いまだ服装のことに満足行かない部分があるし、体重の数値ももう一歩のところだし、諸々の要因によって荒れ放題な顔はなおのことである。理想的な外見に近づくことは、より自らの肉体を理想に寄せる努力義務が発生するのだ。とりたてて最近筋トレを怠けているとか、暴飲暴食を行っているとかいうことはないのだけれど、引き続き望ましい器のためにがんばろうと思いを新たにして、その日はねむった。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。いかんなく自分を表現できる状態がわたしの外見における理想です。まだまだです。

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