週末はおかずのつくりおきをしている。夏に引っ越してからコンロが一口増え、つくりおきの効率と楽しさが格段にアップした。おかげでつくりおきは家事や生活というより、むしろ趣味に昇華されつつある。

きのうの夜は例によってつくりおきのおかずたちを皿に乗せ、あらかじめ味付け冷凍をしておいたぶりのてりやきを焼いた。並ぶ色とりどりのおかずを前に、おだやかなきもちになった。いつも機械的に配膳して黙々と食べているのが、今日はなんだかちがった。まるで他人がつくったもののように、ありがたかった。

自分のやったことにありがたさを覚えるのはふしぎだ。しかも、気まぐれでやった何かが功を奏したのではなく、もう2年弱つづけている習慣を今になってありがたく感じるのだから、余計不可解である。

ぬるめの浴槽につかりながら考える。ごはんを食べる自分とつくりおきをしている自分は、同じからだに宿る別のたましいなのかもしれない。仮にそれぞれをオンたましい、オフたましいと名づけよう。しごとから帰ってきたオンたましいが、オフたましいのつくったごはんをありがたがっているのだ。なぜこんな奇妙な構造を考えたのかというと、ちゃんとわけがある。たんに「3日前の自分に感謝」なら今までのつくりおきのたびにそう思っていたはずだ。しかしそうではなく、きのう初めて「ありがたい」と思えたのは、オンたましいが生活のすべてを仕切っていたのではなく、オフたましいの営み、いってしまえばオフたましいという別の存在があるのに気づいたからではないだろうか。

もしそうであるならば各たましいの持ち場について知り、分析することで、さらに生活はおもしろく、活気づくような気がしている。いろいろな料理の下準備や時短術を会得しておけばよりオンたましいの生活がたくましくうるおうし、オフたましいも「やってやった」という達成感をもてそうだ。それと、オンたましいはしごと以外にもなにかを担当しているだろうし、それを知ることも必要だ。また同居人が出張等で家をあけているときに単なるひとりぐらしではなく、脳内ふたりぐらし、のようなことができておもしろいかもしれない。両者はどんなことを話すのだろうか、もしかすると仲が悪くて、こういうときだけ歩み寄るのかもしれない……。

ひとしきり満足して浴槽を出ると、頭から血が抜けるような感覚とともにからだがふらついた。考え事をして湯に浸かるといつもこうである。今のわたしはオンたましいとオフたましいのどちらだったのか。それともまた別のたましいなのかしら。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。オフたましいは薄い色のような気がします。