◆独身貴族へのあこがれ

独身貴族ということばに、むかしから憧れている。いわゆる絵に描いたような結婚が向いていないということを、中学生くらいのころにはわかってきていた。そもそもの協調性のなさや思いやりのなさも手伝って、とかく家にいるときはひとりでいたいと思ってしまう。

職場にいたひと(とても話しやすかったのだけれど、辞めてしまわれた)がまさにそれを体現したような生活をしており、最近はもうれつに独身貴族熱が高まっていた。

彼は余暇活動がたいへんに充実しており、そこでのひととのつながりを大切にされていた。そういった縁あってわたしの職場にやって来たし、おなじく縁あって次の職場へ去っていかれた。ほかにも素敵な個人経営のバーやプログラムを主宰しているひとともつながりがあって、わたしにも紹介してくださった。そこにいたひとたちも、いいひとばかりであった。

家の中でひととつながっていなくとも、外とのつながりがあればひとはじゅうぶん豊かに生きていける。ちかごろはとくに、そういう時代になったように思う。最近の暮らしのなかで、そのことに気づきつつある。食事提供をしている近所のともだちの存在や、直売所のおじさんとおばさん、ゲームセンターで会えるみんな、職場のつながりから広がった別のコミュニティのひとびと、文芸サークルの同志たち、そしてアトリエのみんな。すべてうちの外にいるひとたちだけれど、わたしの時間をすてきなものにしてくれている。

内向的なわたしにとって、家に他人がいる空間は緊張をともなう。思えば実家でもそうであった。食事と入浴以外のときは部屋に引きこもり、ゲームをしたり文章を書いたり本を読んだりして、とじこもっていた。現在わたしは同居人とふたりで暮らしているが、そこに不満があるとか、飽きたとか、そういうことではない。だいいち、同居人は家にあんまりいないので7割がたひとりだし、緊張の少ない環境に置かれている。しかし、それとはまったくべつの次元で、わたしは独身貴族になりたい。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。ひとりでいるぶんアンテナも高めでいなければなと、そのひとと話していておもいました。

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