◆老人の声

 なにかを考えていると、ときどき老人の声がする。彼と会ったことはない。彼はわたしの頭の中に住んでいる概念的な存在だ。他にも頭の中にはいろいろな人が住んでいるのだが、老人は生き物のひしめく中心から少し離れたところにひっそり住んでいる。
 ……というようなことを話すと変な人だと思われるので匿名性のちょっと高いインターネットに書くことにしているのだが、インターネットに書いたところで変な人だな、と思われるのはおんなじなので、もう日常的に話をしてもいいのかもしれない。おはようございます。

 今回は「理想の暮らし」について……。noteには実用的な記事を書きたいので、こういうちょっと変な話は引き続きブログに書いていく。
 あれを買おう、これはいらなくなりそうなので、ほしいひとに差し上げよう……。引っ越しはまだ先、吟味の時間はたっぷりある。新しい生活について考えていると、老人がとつぜん現れて「理想の暮らしとはなんじゃ。」と問う。起き抜けのしわがれた声、時刻は10時、老人のわりによくねむる。
 「自分の存在する空間やものときちんと対峙し、感謝の心をもって生きることではないですか。」と答える。わたしは祖父がほぼ不在の環境に育ったので、おとこの老人への接し方がよくわからない。しかも、ちょっと老師っぽい感じなのでよけいにむずかしい。
「それだけか。」前のめりになってさらに問う。険しいしわの寄ったまなじりは、叱られるような気がしてちょっと苦手だ。

 今しがた答えた空間やものへの敬意は、たしかにひとつの答えではある。しかし、おそらく老人はもっと深いところのものを知りたがっている。必要のないとき、この老人はしゃべらない。答えは自分で出せ、ということだ。

 パステルカラーの妄想は、ゆっくりとどどめ色の錆びたにおいに変わる。空間。もの。今はものを買うことが当たり前であり、ガスや電気などのエネルギーありきの空間で暮らしている。買うことがデフォルトの世界は、買えない無力と背中合わせだ。エネルギーの方はさらに深刻で、さまざまな仕方でつくられたエネルギーは日々の生活や、非日常的できらびやかな世界をつくりあげる。だがその後ろには必ず犠牲になった景観や町、そしていきものたちがいる。その視線がひとつ、またひとつ集まってくる。怒りにふるえた赤い瞳もあれば、光のない灰色の眼窩もみえる。やせたいきものが濁った水をすする。朽ちた茎が風でぽきぽきと折れ曲がる。

 はっとして現実にもどる。どどめ色の「ど」の字もない青空がひろがり、冬らしくないぬるい風が吹き抜ける。気がつけば老人はいない。

 自分の暮らしのうしろで、なにか他のものが傷つく。このことを、つねづね意識しながら生きるのはむずかしい。行動が習慣化してくるとあたりまえになってくる。あたりまえになると、疑う機会は減っていく。そしてなにより、気にしすぎると何もできなくなってしまう。
 今回のことがあったからといって「すべて自給自足でやります」「一切電気やガスは使いません」という急カーブは切れないが、今より考えて使ったり減らしたりといった余地はあると思いたい。本来はそうすることの意味そのものについても考えなければならないけれど、ふたたび果てしない迷宮に迷い込んでしまうので、機会をあらためよう。

 読んでくださり、ありがとうございます。このへんのことは考え出すとナイーブになりすぎてしまうので、ちょうどいいバランス感覚を身に着けたいところですな。

生活
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ヒプノシア

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