身の回りにある数が気になってしまう。偶数より奇数、なかでも平方数と素数がおきにいりだ。理由はさだかでないが、すきな数字は安心する。

 年齢であれば、17才や23才になったときはやたらに心躍っていた(とはいえ、とりわけいいことがあったわけではなかった)。身長はざんねんながら159cmでうちどめになってしまったが、へたに160や162にならなくてよかったのかもしれないと、小柄な自分をうまく合理化している(かなうならば、163cmくらいほしかったのだ)。こんなぐあいである。

 ただし、数字へのこだわりには悩みもある。体重の数字は自分で操作できてしまうものだから、健康的で妥当な数字を愛せないことがある。今わたしは一年前の最高体重54kgから減量に成功し、50kgほどなのだが、どうもこの50という数字がおちつかない。せめて49になれば(欲をいえば47が最高なのだけれど)いいのだが……などと、頭を悩ませてしまう。

 身体はいたって健康で、もうこれ以上痩せたり太ったりしなくていいのだと、医者からは太鼓判をおされている。身体もそれをわかっているのか、スルスルと落ちてはくれない。また、今よりさらに筋肉をつけたいので現状体重を減らすとなるとなかなか険しい(有名な話だが、同量の脂肪と筋肉では筋肉のほうが重い。そして余計な脂肪たちは、上述の減量でかなり消え去ってしまったようにみえる)。しかも10kg単位ではなく実現可能性の高い1kgや3kgなのでたちがわるい。これが37kgや29kgだったらさすがに諦めがつくのだけれども。

 こんなふうなので、体重計に乗るたびに吐き気にも似た気持ち悪さにおそわれる。体調はいいというのに。こういうとき、人の心のもろさを強く実感させられる。

 余談だがもう一つ、むかし物を減らしていたときに、自分の持っている物の数を数えて管理しようとしたことがあった。分類したり、それを整理したりすることがだいすきなのでさまざまなものをジャンル分けして数え、しまいには総数まできっちりとまとめていた。しかしこれらを減らしたり、逆に増やしたりというとき、数字がひとつ動くたびにストレスがかかって頭がおかしくなりそうだった。一週間経たずして挫折したことは言うまでもない。

 数字は魅力的だが、同時に魔性の概念でもある。魔にとらわれてはいけないと泣く泣く諦めたものがある一方で、やはり体重の数値は妥協できないらしい。その証拠に、数字の美しさに屈して食事の偏り方がだんだん顕著になってきている。わたしにとって、47はもっともすきな数字のひとつだ。うつくしいものはうつくしいからうつくしい。それ以上の理由をもとめることができない。わたしのもつ50より47が、あまりにもうつくしすぎる。そんなことを書きつらねてふと体重を計ると、49の数字が見えた。おもわず平方数の恍惚にひたる。足手纏いの2を削ぎ落として、理想のあなたに会いたいと願う。