先週、千葉県佐倉市のDIC川村記念美術館で開催する企画展に行ってきた。なんと今日までで、この記事を上げたころには終わってしまっている。
DIC川村記念美術館
ブリジット・ライリーは現代の美術家で、幾何学模様のパターンを反復する絵を描く作家だ。

大きな作品群を見た瞬間、この作家は人の知覚と認識について考えているひとだ、と感じた。ふつうの絵と同じ四角いキャンパスのはずなのに、そこに描かれた波たちはゆらゆらとゆらめいてキャンバスから飛び出ていくようにみえる。飛び出てみえると、キャンバスも波と同じ形に変形していくように錯覚する。ストライプたちは色と色の間でちりちりと燃えるようなものもあれば、さらさらと水のように下へ落ちていくようにみえるものもあり、使っていないはずの色が間から浮かび上がってくるものもあった。
全てを見終えて、人が知覚するものははたして目に映るとおりのものなのか、と疑問を持った。自分の眼球が映す像は果たしてそのままの真実として捉えてしまってよいのだろうか?漠然とした不安がよぎった。われわれがあたりまえにやっている世界認識に一石を投じる作家だったように思う。

極めつけは作品がどれも大きいことだ。自分の視覚いっぱいにものごとがゆらめいていくのは、奇妙な感覚で胸が高鳴る反面、先程書いたような不安も生まれる。ずっと見つめていると、頭がくらくらとしてくる。部屋の壁が一面ブリジット・ライリーの作品だったら、自分がほんとうに見ているものが一体なんなのかわからなくなってしまいそうだった。その日は自宅の白い壁を見てひどく安堵した。
『赤と赤Ⅰ』がお気にいり。線が切り取る形は想像しだいで何にでも見えた。きっとその日の調子や気分で、見え方が変わってくるのだと感じた。

ほか、常設展としてDICはルノワールをはじめとする印象派の絵画から現代アートまでそろっていた。巨大なジャンク・アートも所蔵しており、コレクションの数は多くはないものの色彩ゆたかである。美術館の構成としては小部屋がいくつもあって、そこで世界観を区切っているのも見やすくてよかった。前衛的な作品が刺激的だったが、作者自身が何を思って描いているかというのは、なかなかわからない。花や女のように美しいというわけではないし、線の連なりはもっと世界の根本的な概念を描いているのか?それとももっと単純なものを主張したいのか?そもそも意味などないのか?展示を見るのはすきだが、よくわかっていないことが多いので、勝手に見て自由に想像している。

また、敷地内に庭園も持っているようだった。暑くて散策はしなかったが、次行くときは涼しい時期にしようと決め、その場を後にした。