◆よいひとに囲まれる

きのうはひどく疲れていた。疲れることはわかっていたけれども、どうしようもなかった。こころを強くやられたのはかなりひさしぶりで、暗澹としたきもちと自分のたましいが分裂していくイメージが脳内でひろがっていった。とろけた時計のような自分の顔、あべこべに貼り付けられた顔のパーツ、うねる幾何学模様の景色のなかで自分の顔に手を触れてみると、腐った果実のように指がめりこんでいく。

あまりネガティブなことはTwitterに書かないようにしているのだけれど、ほんとうにつらくて外界の音(人の声、雑踏の音、アナウンス、お店のBGM等々……)がつらくなるときのことを書いた。するとツイートを見た友人が音の対処についてくわしく教えてくれた。内容云々よりも助けの手をさしのべてくれたことがうれしかった。

そのあとはべつの友人と夕食をたべた。あまりに疲れていたのでお断りして帰ろうかとも頭の片隅で考えたのだけれど、なんとなく行ったほうがいい気がして踏みとどまった。彼女とは近況やゲームのことなどを話した。疲れの原因についてあれこれと話すことはしなかったけれど、とても楽になった。約束があってよかった。

彼女と別れ、今回の疲れの原因である「音」の対処についてしらべた。いつか買おうと思っていたイヤホンを、ついに買う決意をしたのだ。先日オーディオにくわしい友人たちに聞いた高遮音イヤホン・ヘッドホンの型番で検索をかける。インターネットが情報過多な今、わからないことを投げたときにポイントをおさえて返してくれるひとがいるのは非常にたすかる。

目当てのものがヒットしたとき、ふとそういったひとびとに囲まれている環境をしあわせに思った。人はこれまでしてきた行動の結果としてつきあうひと、つきあわないひとがでてくる。いま「これでよいのだ」と、胸を張って言える気がした。「まさかの時の友こそ真の友」ということわざがあるが、それがひどく身にしみた1日だった。

今日も読んでくださり、ありがとうございます。さすがに午後にものを書きますと頭にいろいろなことが入りごちゃごちゃといたしまして、へんなかんじがします。

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