◆九条の大罪第49審『事件の真相』⑨

今回のお話

外畠から電話を受けた嵐山。股間を焼き切られたときのことを思い出したらしい。顔は隠されていたが、その音から自動車の整備工場ではないか、と。それを聞いた嵐山は思い当たる節があるような顔をする。壬生だ。休むっ間も無く、衣笠が署にやってきて、昼食を差し入れてくれたようだ。というのも、子育て支援の充実した街に転居することにしたのだという。明るい表情で、嵐山と会って人生を前向きに捉えられるようになったという衣笠に対し、嵐山は返事をしつつも、なにかひっかかるような、悩ましい表情をする。デスクには「婚活アプリ詐欺事件」の捜査資料が置かれているのであった。

場面は変わり、美穂の自宅だ。団地の1Kに布団と赤ん坊、キッチンの通り道には捨てられていないごみが置かれている。しかし、そこそこに整頓はされているようだ。朝早くの呼び鈴に扉を開けた衣笠は、嵐山に尋ねる。「こんな朝っぱらからどうしたのですか?」と。ドアを開けてほしいという嵐山に、少し警戒した美穂は、愛美の写真を見つけたという話を振りながら、鍵を開ける。自ら手錠をかけ、衣笠を逮捕する。10月というので、秋だったのね。部下である深見は、嵐山自ら逮捕に出向くことを気の毒そうにみている。捕まったことにあわてる衣笠に対し、嵐山は結婚詐欺の被害届が出ていることを伝え、で喚く衣笠をあしらい、愛美の名を出す衣笠に対し「それとこれとは別だ。犯罪者は絶対に捕まえる。絶対にだ。」と、署に連行するのだった。

さらに場面は壬生の自動車の整備工場にうつり、またトゥールビヨンの小山が逮捕されたという話を九条にしている。九条は大したことないといったようすで、20日で釈放されるだろうという。嵐山のしつこさに言及しているとそんななか、嵐山が車のキズを修理してほしいとやって来る。すると深見は、壬生の周りで事件が多発しているという話をしてくる。金本の水死にはじまり、そして最近の外畠の暴行事件だ。なんらかの形で関与しているだろうと詰める深見に乗じるようにして、嵐山が整備工場に死臭がすると言いがかりをつける。壬生は、修理に関しては他をあたってはどうかというが、壬生のような犯罪者に権利はないといい、人でなしの片棒を担いで嫌にならないかと九条に問いかける。
九条は、弁護士が守っているのは悪人ではなく、手続きだという。適正な手続きをやるために犯罪者の犬になっていると批判する嵐山に対し、自分が受任しないと他の弁護士がやらなければいけなくなると返す。とはいえ、嵐山からすれば完全黙秘の指示をして犯罪を助長することは許せないようだ。しかし、それに対して九条は、法的に黙秘権は保障されていること、嵐山に対し感情的すぎることを言い放つ。すると嵐山は、自分の娘が強姦殺人されたとき、犯人を同じように弁護できるのかと問いかける。それに対し、感情的に冷静な判断ができない依頼であれば、プロとして身を引くべきだという。警察と弁護士は役割は違えど、目指すのは平和な社会ではないだろうか?問いかける。嵐山は九条の言い分を詭弁とこきおろし、去っていくのであった。そして九条は、自分の娘が殺されたとき、司法になんて委ねたくない、そう言うのであった。

感想

さまざまな描写が入り乱れて2,3話分のボリュームのある回だった。ただ、いえるのは九条がいうほどに嵐山も感情的ではないのでは、ということ、プロとして目指すさきは平和な社会、というのも、おそらく同じなんだろうな、ということだ。では、結局何が異なるのか。そういう回だったのだと思う。詳細な考察は有名な「すっぴんマスター」様に任せるとして(わたしは書けない)、平易な感想だけおいておわろう。

まず前半のパート。衣笠は、犯罪者だった。しかし、私的に愛美の事件を追っていた嵐山からすれば、重要な協力者だった。そうでなければ、小山と愛美、さらにそこから京極、壬生、犬飼までつながることはなかった。嵐山の言葉を借りれば、過去の事件(愛美の死)と現在の事件(婚活アプリ詐欺)のふたつを追う中で、彼女の公衆の顔と本当の顔を見ることになったわけだ。また、以前までのところで、自身の娘である愛美の公衆の顔、家族の顔、本当の顔も見ることとなった。嵐山にとっては重層的な情報が、今回のエピソードの中にはあった。それゆえに、愛美の事件の被疑者として対面した小山とは刑事と被疑者という形で対峙しながら、話の中では娘を亡くした父親と、娘の元恋人しての対峙も同時に起こっていた(第47審「あなたの娘は売春婦です」のやりとりの部分)。そして、その後の衣笠のやりとりでは父親としての自分と、娘の友人(衣笠)と私的かつ、実に感情的なやりとりがなされ、そこで嵐山は刑事としての職務に没頭するあまり、父親として愛美と向き合ってこなかった自分のありように気づいている。

そして今回の衣笠の逮捕だ。深見のモノローグからもわかるように、彼女の逮捕は嵐山が率先してやらずとも、なんだかよさそうな雰囲気である。衣笠は「愛美のこといろいろやってあげたでしょう?」というが、嵐山は「それとこれとは別だ。」と分けている。この峻別、そして自ら逮捕に乗り出すことこそが嵐山の「鬼」たるぶぶんなのだろう。

では九条と嵐山だ。まぁ、これまでを見ても、壬生や九条に対する嵐山の態度が感情的なのは否定しがたい。ゆえに、九条からみた嵐山がそういうふうに映ることは仕方がないように思う。ただ、九条がいうほど感情を分けられていない、というのが、今回のエピソードではよくみえた。ただ、警察は平和の実現のために、社会悪とよばれる人々を逮捕する責務がある。それに対して弁護士は、そういった社会悪とよばれる人々をも含めて、適切な司法手続きをする権利をまもる必要がある。平和や平等に対する切り口の違いが、彼らのプロとしての立ち位置の違いや、それこそ相容れないポイントなのだと思う。
そこで、嵐山はもし、九条の娘が強姦殺人されたら同じように弁護ができるのかと問いかける。この問いかけに対し、九条はできる・できないではなく、弁護士の使命である社会正義の実現と人権擁護に対して、冷静に判断ができない案件は身を引くべきだという答え方をする。警察と弁護士が目指すのは平和な社会ではないか?そうも問いかける。
直球に返答がなかったことに対して「詭弁」と片づける嵐山だが、実はそうではないのではないか、と考えられる。そのあとで九条は、「もしも娘が殺されたら、司法になんて委ねたくないね。」とこぼす。ここのところの真意はわかりかねるが、これまで九条が弁護を執り行う中で、第1審では「法と道徳は分けて考えている」と、また、金本の水死に対しては「法の面倒は見られるが人生の面倒は見られない」とも言っている。これは司法と感情を隔てることで職務を進めていく九条の仕事のスタンスをよく表していることばだと思うし、今回の「手続きを守っている。」というのもそうだ。今回の、司法に委ねたくないというセリフは、娘を司法の領域に持ち込みたくないという、やはり九条にとって娘がどこか、聖性をもった存在のようにおもえた。家をもたずに過ごしていることや、元妻の姓を使っていることからも、九条の「家族」、とりわけ娘に対する思いは並々ならぬものではあることは窺い知れる。
プロフェッショナルであることは、自身の職務の限界も見出しているのが通常である。それは弁護士の場合、依頼人の感情や道徳的な領域を救うものではないことを、痛いほど理解しているはずだ(『家族の距離』編の家守は、非常に救われた部分があったけれども、それは九条が徹底的に傾聴するスタイルをとって、献身的な彼女の姿を浮かび上がらせたからである)。ゆえに司法に委ねることは、「父としての」自分にとっての解法を表さない。こういったシンプルな結びつけ方も、九条が嵐山を好かない理由のひとつなのかもしれないが、ふたりの立場として実は非常に近いところにあり、切り口が異なっているだけなのではないかという話は、今後も気にしながら追っていきたい。

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