◆余暇の機能について

 先月から、しごとの終わった後の時間でがっつりと業務を行わず、家事もがんばりすぎないように過ごしてみたら、だいぶ心の余裕が出てきた。
 両者をがんばらなくなったことで生活の中で目立つようになったのは、余暇の時間である。9月末から生活の構造を変えたことにより、本来の余暇として過ごす時間が戻ってきた。実際自分の調子が戻ってきたことを実感しながら、余暇の重要性をあらためて感じつつある。

 しごとをするのは、わたしにとって金銭との代替行為以上の意味合いがあり、そういう意味ではひまな時間に勉強をする、というのに近かった。だからこそしごとの後の時間で業務をしていたところもあるのだが、やはりそれだけでは充実した生活は成り立たなかった、というのがこれまでのあらましである。

 ここで自らの余暇のバランスの悪さに気づくこととなったのだが、実は、余暇は「余暇学」という一分野になっているほど、研究の重ねられてきた分野である。その歴史は古く、古代ギリシャの哲学者アリストテレスは自身の著書『ニコマコス倫理学』の第十巻、第七章において「幸福は余暇のうちにあると考えられる」と書かれている。ここでの余暇は暇つぶしや遊びも想定してはいるものの、幸福と結びつくのは知性の活動であるという考えを示している。ここでの知性の活動というのは哲学的観想を伴ったものであるが、そういったことがらはまじめな活動でありつつも、活動そのものが目的となって行えるものとして評価しているのである。こういった活動を伴った生活こそが究極の幸福であり、その理由がいかにも古代ギリシャ的だなと思うのだが、「このような(余暇に知性的な活動のできる)生活を送ることができる人というのは、その人のうちになにかしら神的なものが内在していて、そのかぎりにおいてのことだから」だと言う。要するに、知性の部分は人間的なものではなく、神的なものに与る領域であり、アリストテレスにおいてはこれが人間的世俗と一線を画す重要な概念になっているために、そうなるのである(とわたしは解釈している)。アリストテレスの余暇は、現代の私たちと同じく、人間の労働に対する価値として対置されているが、アリストテレスのいうところの余暇は究極的には自己研鑽であり、いわゆる「レジャー」的な側面はあまり重要視されていない。“School”を意味する英単語の語源がギリシア語のスコレーからきているといわれれば、頷ける部分もある。

 さらに時代はすすみ、余暇を語る上で外せないのが、フランスの社会学者デュマズディエである。1960年代に「余暇文明へ向かって」という著書において、余暇について学術的調査を行いながらアプローチしている。
 デュマズディエによると、余暇には休息・気晴らし・自己開発的機能の3つがあると主張する。まず休息は日常生活、特に労働の圧力によって生まれる肉体的・精神的消耗からの回復である。静かにのんびり過ごして何もいないでいることが労働者には必要であるとデュマズディエは説いているが、それは現在のわたしたちにも同様に言えるだろう。
 ふたつめの気晴らしは、人間を退屈から救出する機能だという。単調な作業が労働者の人格に及ぼす悪影響や、現代人の疎外から自己喪失についての分析に言及しながら、気晴らしのもつ「補充的代償的経験」や、「日常的世界と隔絶した世界への逃避行動」が社会的な必要な修練や規律を支えていく手段になりうることを説く。これらを具体的なものに落とし込むと①場所やリズムやスタイルの変化追求(旅行、遊戯、スポーツ等)や②架空の世界への脱出(映画、演劇、小説等)にあたるという。現在はデジタル文明のめざましい発展により、当時より多くの余暇が生み出され、選択肢も膨大になっていることだろう。また、調査によると最も多くの回答者によって指摘されたのがこの「気晴らし」の機能だという。これは現在もさほど変わらないだろう。
 さいごの自己開発的機能は、現代でいうと自己啓発や自己研鑽の方がしっくりくるだろう。余暇は、生涯つづく自発的学習の側面を持っており、既存の学習にとらわれない創造的な人格の形成をうながすという。義務的労働ではなく自ら選択することが重要であり、それを通して自己実現をかなえていくことは、上のふたつに比べると一般的ではないが、最も重要な機能であるとデュマズディエは主張している。
 また、これら3つは対立しているようにみえて相互に連関しており、いずれにせよ、職業や家庭、社会から課せられた義務から解放されたときに、さまざまな目的にのっとって行われる任意の活動の総体であると締めくくられる。

 このあとも現在にいたるまで、余暇については様々な論文が出ている。たとえば、学歴と従事する業務によって余暇の取り方に特色があるという論文は、働き方が多様になっている現代においてはいささか古い主張かもしれないが、みてみるとなかなかおもしろいし、たしかにそういった側面もなくはないなと思わされる記述がみられる。「余暇 機能」で検索すると結構いろんなものがでてくるので、興味のある人は調べてみてね。

 読んでくださり、ありがとうございます。10月の半ばから打ってたんですが、だらだらしてたら文化の日になっちまいました。ちょうどいいといえばちょうどいいかもしれないです。余暇の機能はおおきくこの3つですが、ほかにも余暇自体がにんげんの生活にとってどう「よい」のかということなんかは、いろいろな研究があって、結構おもしろいです。

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