38章で投げました。あとは動画やテキストで補完しました。
バトル面白いし、ボスのグラフィック好きなの多いし(オルトルートがめっっっっっっっっっっっっっっっっっちゃかわいい)、なによりシナリオの伏線の回収が見事です。音楽もよいです。また商業ではなかなかできないであろう厭世的、絶望、破壊衝動が最後まで突き抜けていくところも特色として挙げるべきところでしょう。しかしそれは「死最高!死のうぜ殺そうぜ!」ということを言いたいわけではなく、逆に反対概念である「生」を際立たせるためなのではないか、と考えました。終盤の敵は生と死に関する根本的なテーゼを投げかけてきます。それを真っ向から否定することはできないと思いましたし、それがある一つの真実であることは疑いようがないのです。しかし、ここまで絶望的で痛ましい現実があっても尚キャラクター達は生きている。過度に現実を美化することなく、ありのままの絶望を請け負いながら生きていく強さを描いたのではないか……と。そんなふうなゲームなのではないか、と分析しています。
では、どうして投げてしまったのでしょうか。
はじめに申し上げておくとダンジョンがあまりおもしろくないことと自由度の低さはマイナスポイントですが、そこに関しては期待していたわけではないので除いておきます。元々シナリオがおすすめされて始めたわけですし、わたしはそこまでやりこみをしませんので……。
理由はただ一つ、ことばが響いてこないことです。
ゲームを進めていて、「セラフィックブルー」という名のマニュアルをひたすら読んでいるような感覚がしていました。ふんわりしてしまうけれど、生身のやりとりが伝わってこないのです。こちらの感情を揺さぶってくるような熱のこもったことばが見つからないのです。と言ってもこのゲーム、プレイヤーに着いてこさせる気がない向きですから当然なのかもしれません(ついてこれるやつだけついてこいという感じです、最初で投げる人は一定数存在すると思います)。その証拠でしょうか、キャラクターのしゃべり方は機械っぽいです。こういう役割だからこういうふうなことをしゃべるようにプログラムされているというような。作者の意図に沿って台詞が書かれている感覚というか(それはどのゲームでもそうなのだけど)、その意図がキャラクターに仮託されきっていない、どこかで作者の影が見え隠れしてしまう感覚がしました。それが実は、物語に没頭させることを阻んできます。小説を読んでいて、「あぁ、作者はこうしたかったんだろうな」というのが読んでいる途中で見えてしまうと、ちょっと読み進めるスピードが遅くなる経験がないでしょうか。オチが読めてしまうのとはまた別です。それはキャラクターや物語の隅に、作者の影が見えてしまうからでしょう。読者は作者の影を見るのではなく、物語を見たくて本を手に取るのです。そこでうまい台詞というのは、意図や問題意識をしっかりキャラクターに託して、物語の中で発信され、完結するものだと考えていますし、そうでありたいと思っています。
そんなことですから、シナリオのギミックが見事で驚くことはあるものの、それ以上の感情はなかなか起こりませんでした。いきものを解剖して「こうなってるんだ、ふーん」という感じに近かったです。
当然の帰結になりますが、キャラクターの魅力もさほど感じませんでした。境遇や属性を取り出せばドリスとフョードルが好きですが、惚れ込むレベルのキャラクターはいなかったかな。それもことばの熱がこちらまで伝わらないことによります。
シナリオがいいというのは要するに話の展開とキャラクターです。前者の完成度の高さに比べて、後者が今までやったゲームの中では最低レベルでした。語彙や言い回しにとどまらず、プレイヤーがそれぞれ持つ「ことばの美学」とでもいうのでしょうか、それとのマッチングもあるでしょう。例に挙げるのは野暮かもしれませんが、「ライトノベル文体だけは受け付けない」という人に、名作と名高いライトノベルをおすすめする人は少ないと思います。それと同じで、セラフィックブルーの語感はわたしの語感とのマッチングが非常に悪かったのでしょう。いわゆる「肌に合わない」というやつです。
優れた脚本もへたな役者が演じればおもしろみは半減します。それがまさに、わたしにおけるセラフィックブルーでした。そのあたりがのめりこめなかった理由だと考えています。ちなみに幻想水滸伝Ⅳはこれの逆で、シナリオが完膚なきまでにだめな代わりにキャラはそこまでダメすぎません。キャラゲーはえてしてそうなりがちな気がいたしますね。
それと、過度に変換した文体が好きではないので「呉れ」とか「心算」がデフォルトの世界観がちょっとしんどかったです。致命的なら序章で投げているはずですから……。
ここまで書きましたが、クソゲー呼ばわりする気は微塵もありません。このゲームのいいところは既にいろいろな人が書いていますので、わざわざわたしが記録する必要がないのです。わたしの肌に合わなかったこと、それがなぜかということ、それを残しておくことで、ゲームに求めているものがよりくっきりと見えた気がしたので記録いたしました。世界観の作りこみはもちろんですが、シナリオにおけることばは特によく見てしまうのかもしれません。よって、キャラクターのせりふを覚えていればいるほど、そのゲームのことはすきなことが多いです。例外は圧倒的な世界観構築で心を奪い取ったFF12くらいでしょうか……。また、ことばが多く交わされるからこそRPGがすきなのでしょう。
練度の高い各要素がありつつも、ことばの親和性の低さで評価は★★☆☆☆。
文章を書くたび自らのアウトプットの質の悪さが目に見えて、痒い。
そしてこの一週間を過ごしてみて、RPGは時間を気にしてやりたくないなと強く思った。朝も夜もなく踊り続けるように、本能のままに遊んでいたい。実際ゼノギアスやペルソナなどの長時間必要なゲームは、大学の休みに朝日が昇るまで毎日やるレベルでやっていたことを思い出す。それを今やるのは、ちょっとむずかしい。時間を決めてやればいいのでは?と思われるかもしれないが、根本的にそういうことではないのだ。わたしにとってRPGをすることは作品の巧拙を問わず、そのものに没頭し、陶酔し、盲目になるような行為なのだ。ゆえに働き始めた今は「とてもやりたいこと」なのだが、「どうもそれは厳しい」ことになりつつある。据え置きがすきだから持ち運べないのもネック。おまけに創作と読書のプライオリティが高いこともある。自然淘汰なのかもしれない。くちおしいが、眠らないわけにはいかない。
というわけで今、はげしい睡眠不足だ。言うなればひゅぷのすおやすめていない。
なので、寝る。
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