◆師への謝意

ここでも何度か書いていると思うが、わたしは自分の文章がきらいだ。文芸同人の方でいちばんはじめに書いたものとわりと最近のものを読み比べると「まぁ、少しは小説の体をなしてはきたのかしら」と思えるのだけど、頭に浮かんだ世界を忠実なことばに置き換えることは到底できていないし、何よりつまらない。「なぜこんなにもつまらないのか」と絶望するときもしょっちゅうだ。おそらくどこまでいっても自分の文章に満足することはないのだけれど「それにしたってもう少しましなものは書けないものか……」いつもそんなことを思う。
そういった経緯もあって以前書いたように、自分の書いた小説の赤入れを、文芸同人をいっしょにやっている友人におねがいしている。彼らは友人同士の半端なやさしさで「おもしろいね」「いいね」と手放しには言わず「過去形が続いてしまっているから現在形を混じえるといい」「動作に関わる単語が多くなっていて、人物の感情がわかりづらい」といったことをちゃんと伝えてくれる。作者自ら「つまらない」と思っているものに対し、いやな顔ひとつせず目を通してくださるものだから、頭が上がらない。それに彼らが紡ぐことばはいつだって真摯だ。自分の文章ありきの赤入れだが、ことばを尽くしてくれるひとに対して精一杯のことばを尽くしたい気持ちがわいてくるのは自然なことのように思う。それでもなかなか手癖というのはなおらないもので、ついつい人物の動作を全て描写してしまう指先がある。
それにしても、おふたりとも忙しい時間を縫ってわたしの駄文を見てくれている。それはわたしと向き合ってくれている時間と言い換えてもいいのかもしれない。自分からお願いしたことだというのに、彼らがそこまでしてくれるのは一体なぜなのかと思うときがある。今まで浅い人づきあいばかりをしてきたわたしにはあまりにも不可解で、慈悲深いおくりものである。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。今日は連載の更新日でしたが、もう少し書き直すことにいたしました。

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